月別アーカイブ: 2017年11月

「エンジニア職」「ビジネス職」への本音

「ビジネスサイド」「ビジネス職」という用法を、エンジニアが用いるケースをよく見かける。

IT企業関係者に顕著な語だが、これは概ね「ノンエンジニア職」という表現が適切である。

エンジニアが用いる技術(プログラミング言語、データベース、計算機科学…)は、今日びアナリティクスや意思決定に多用されている。

少し前であればExcelで済んでいた業務が、今ではSQL/R/Pythonを組み合わせるようなケースに変貌していることは珍しくない。

更に掘り下げれば、「ファイナンス=データ分析全般」を標榜するケースを、北米や欧州の企業で頻繁に見かける。この場合のファイナンスとは、FP&A・管理会計といった分野のことだ。

これらの分野について、一定のコーディング(あるいはtableauのようなBIツール)や、場合によっては数学・統計学が必要な例が急激に増えているのである。いわゆる「データドリブン」のお仕事である。

この事実を考慮したとき、「エンジニア職」と「ビジネス職」の差異に、どのような意味が生じるだろうか。

つまるところ、両方の素養が必要な立場(データサイエンティストとFP&A)は、素養が偏ると「KPIのコーダー屋」だとか「Excelの大先生」に堕しかねない。

収益構造や技術的な枠組みを把握している立場として、どのような知見を提示するかが、分析職にとって最も重要な点である。

両者の混合が最先端である以上、区別のタコツボに篭もる合理性はどこにもないんだよね。

「矛盾」への本音

矛盾があるとき、そこには価値が隠れている。

「これ、おかしいよね?」
「この場合あるべき姿って、実はこれだよね?」
このような発想から発言・行動することで、矛盾の解消により、価値が掘り起こされる。

例えば、矛盾した物事や状況を生々しく的確に言語化・作品化・仕組み化すれば、それは立派な技能や作品や製品やサービスになりうる。

例えば、誰もが喋り倒すような文化の中で、的確に沈黙を活用できれば、「雄弁は銀、沈黙は金」というように、言葉なき言葉により高い価値が出る。

面白おかしい矛盾や、「でたらめをやってごらん」という発想を自分から持ち出し、そこから価値を作ることを試みてもいいんだよね。

「素人目線」の本音

「素人目線で判断するほうが、時に率直で本質的である」という視点がある。「敢えて、ものを知らない人が判断したほうが良いことがある」といった類の視点がこれだ。

バイアスのかからない視点は確かに重要であるが、「知識を仕入れて(かつ知識の限界を踏まえて)判断する」ことが欠けており、褒められたものとは言い難い。

素人目線が重要なのは、一定の知識を会得している立場だからこそ、である。
(岡本太郎の「積み減らす生き方」に近い考え方だ。)

既存の知識を的確に懐疑するためにも、知識のない状況から逃げるのは損ということである。これは、専門のタコツボに閉じこもったが余り、理路整然と大間違いを招くことも、同時に防いでくれる。

ビギナーズラックよりも、まずは基礎ありきなんだよね。

「成長」の本音

子供の成長を願わない親はいない。

一方、子供を持ったことがある人の中に、成長すなわち「経済成長」をあげつらい、これを頑なに否定する人がいる。

「弱きを助けて強きをくじく」という層(特に、自分が弱者だったノンフィクション作家やクリエイター)が、ついつい陥りがちな発想だ。

こういった人々の発想は、文化財や景観の保存という視点からは、実のところ保守策として一理ある。

自然や伝統を破壊し、特定の利益集団ばかりにお金を回す公共投資への反対運動に、命がけで身を投じたからこその発想ということだ。

公共政策が、公正と言い切れない判断を下し、民意の見出せない政策主導の(不要な)投資が目立つ状況では、「成長とはおおよそ不公正な成長」というバイアスがかかるのも無理もない。

一方で、このような層の方々に足りていないポイントは「社会とビジネスの適切な関係の理解」である。基礎知識の欠落で、「投資策や持続可能な経済成長を通じ、既存の不経済を緩和していく」という発想を持てていないのだ。

これはすなわち「適切な成長を通じて、守るべきものは守り、改めるべきものは改める」という率直な発想がないということである。子供にとっても事業にとっても、このような現実解が必須だということに、気づけていないのだ。

子育てに対する知識はつける一方、会社法も知らないし、リスク管理や内部統制や監査も知らないまま話をしているに過ぎない、残念な状況であると言える。

具体的な知識がないために「あーモッタイナイ!」のひとことに尽きてしまう難点がここにある。

地域保存に東奔西走したノンフィクション作家さんのグループの子供のひとりが、成長の結果、ミュージシャンとして知名度を上げている。

また、親の影響で読んでいた新聞を小学生ながらがんばって喧伝していた子供が、成長しミュージシャンとして知名度を上げている。

ここまでで書いたことは、自分の半径1メートル以内で見た、同級生と、その親御さんの事例である。

少しだけバイアスを振り捨て、知識と好奇心の扉を開いてみるだけで、思わぬ方向に成長できるという好例に違いない。

「正論」の本音

正論をもっとふりかざそう。

そのためには、こうやって実践しながら準備しよう。

1. 適切かつ高水準の知識(人文科学・自然科学・社会科学)を、トラッキングできる文献から身につけ、的確かつ公正な計画と判断と決断ができる懐疑心と好奇心を持とう。自分の意思を知性的に形にできるようにしよう。

2. 熱狂的でもいいし、冷徹でもいいし、ゆるくてもいいから、少しだけでもいいから、敢えて撤退してもいいから、今の自分と周囲をよりよくするための行動と発言を重ねよう。

3. 仮に失敗したとしても、1と2のおかげで、いつでもいくらでもどんな性格でも、適切な場さえ選べば再起できると心底信じよう。再起できる立場として、人にやさしくなろう。

4. 上の全てを、経済的な成長と、精神的・肉体的な成長について、同時並行で役立てていこう。成長して、時には物事をスパッと(言い)「斬れる」勇気を持とう。金銭と心身に余裕があり「キレない」側になろう。

5. 上の全てを、心底ドキドキできる「小さい頃のごっこ遊び」のような記憶になぞらえて試そう。そういうことが可能な自分専用の自由な空間を、物理的にも精神的にも、何が何でも確保しよう。

こうやって的確に実践で準備しながら、同時並行で次々に活用していかないと、あっという間に錆びついてしまうのが正論だ。

息を吸うかのようにみんなが正論を活用していれば、自分も世の中も少しずつ良くなるんだよね。

「めんどくさい」に対処するための本音

物事を面倒だと思ったとき、それは以下のいずれかに当てはまる。
・そもそもわざわざ自分がやらなくてもいい、不要な物事
・メリットが出る、自分の参加や労力が必要な物事

前者だと明らかな場合、さっさとパスするか、アウトソースして(モノやサービスに頼って)しまえばいい。君子危うきに近寄らず。
後者の場合は、「いかにして面白くなるか」とか「いかにして結果的に片付くか」を探ることを真っ先に考えよう。

次のステップ。
さっさとパスすべきものは「自分は意思が弱いから」だとか「才能がないから」という言葉だ。これを禁句にしよう。
・まずは「自分にとって否定的・義務的な表現」を使うことをやめる。
・次に「対象となる物事のメリット」と「面白く感じる別ルート」を探り、肯定的な理由付けを行う。
・そして「少しずつ対象を実行しながら、上二つを洗練させ、頭と体をクセづける」ことを心がける。
この3つを、まずはぼんやりでもいいから焚き付けていけば、だいたいのことはどうにかなる。

話をもう少し具体的にしよう。
「めんどくさい」という流れをぼんやりと断ち切り、何らかの実利につなげるとすれば、
・試験対策(受験勉強、資格試験、単位取得…)
・スキル向上(外国語習得、プログラミング言語習得、統計学習得…)
あたりに効果がある。

上記の知識を蓄えるには、出来る限り「トラッキングできる知識」「品質の高い書籍や文献」に頼る必要がある。

使えそうで信頼できる文献を読まずに取り組むと、かえって辛いだけなので注意しよう。

このとき、まずはきれいごとや理念を考える必要はない。理念があったほうが腑に落ちるなら、適当にクレドを参考にしても良いし、しなくても良い。

「頑張る」「挑戦する」「熱意」「幸福」という言葉に惑わされて、カラ手形を打つリスクを取るくらいなら、ぼんやりとでもいいから実利につなげたほうが良い。精神衛生にも良いし、安心かつ現実的だ。

一定の流れが作れて、「ああ、これは理念や目標があったほうが良い」と感じたときに、理念や熱意を後付けで込めるという発想で、十分に事足りる。

ここまで読んで、ありがちな勉強法だとかの焼き直しに見えたとしたら、その視点は正しい。

わざわざ「めんどくさい」に絞ったのは、「めんどくさいなどと一切感じない人が(少数ながら)存在し、そういった人がひたすら目立っているから」である。

率直に「めんどくさい」の分析から始めて、「めんどくささを感じない目立つ人」に誰もが伍することができると言いたいだけだ。

実のところ「めんどくさい」を巧みにカット出来るように物事と付き合えば、意外とどうとでもなるんだよね。

「初任給と残業」を掘り下げることの本音

・初任給19万円/月
(大卒と大学院卒向け。別途賞与・残業手当あり。残業なし。残業がかさんだ場合は積み立てて有給休暇にできる)

・初任給35万円/月
(大卒と大学院卒向け。別途賞与・残業手当あり。毎日激務。福利厚生と従業員教育が凄く良い)

これらは、いずれも一定の技能が求められる分野の事例だ(どの分野か想像がつきそうなものだが、ここでは敢えて書かない)。センセーショナルな風合いで、初任給の多さや、残業の少なさが報じられることが少なくない分野でもある。

一般に「学んだ人にとって良いケース」とは、残業が少なく、初任給が多く、扱う知識は大学に持ち込める最先端のテクノロジーであることだ。

従って、単に残業が多いか少ないかではなく、
・前者と後者にどういう層が集まるか?
・経営陣の教育水準はどう違うか?
・その場で得た知見を大学に持ち帰って研究できるか?
(あるいは、その場が研究開発の場であるか?)
・5年後10年後にはどういう環境になっているか?
という点から、キャリアの先を発想できると良い。

これは、現状の居場所が「自分のパフォーマンスを短期的・長期的にどう高めるか?」という視点を持つために必須である。

特定の年齢層での常識や、特定の産業の住人(経営層と従業員)の常識に従わされることは、長期的に見れば仕事ではなく作業である。

エビデンスのある独自の視点を持って活躍することと、その環境を自分に有利な形で維持できることこそが、重要なのである。

いずれの分野も組織も産業も、構造上の経年劣化や、自分へのフィット感について、定期的(月、四半期、年)に確認しておく必要がある。

パフォーマンスを高めるには、最初ばかり見ていてもどうしようもない。いつでも動けるようにしておくと良いんだよね。

「アンチ」の本音

「アンチテーゼ」という言葉の通り、対立する概念があるからアンチが成り立つ。

適切に知識と行動を仕入れた上で自画自賛し、さらに他者をも肯定してあげることが、より良い環境を得ることにつながる。

それでも気に入らないところがあれば、肯定できる箇所を徹底的に認めた上で、堂々とアンチになってしまえば良い。

アンチとして嫌いな対象を追っかけ回すのって、どこかで明確に価値を認めているからであって、興味がないどころか「興味津々」なんだよね。

まずは徹底的に価値を認めたことを自認してから、岡本太郎が言ったように「自分アンチ」になっても良いし、苦言を呈しても良い。嫌味ったらしさがない世界に足を踏み入れる。その第一歩と思えれば十分お釣りが来る。

「どうしても許せないモヤモヤした感覚」については、それを引き起こす対象から徹底的に離れておくといい。

もしモヤモヤを超えられたなら、
「素直に価値を認めたアンチ」
「価値を新たに作るアンチ」
「応援できるアンチ」
であるくらい堂々とできるほうが、かっこよくて有益なんだよね。

「剽窃」の本音

「引用元の明示なしに論文を書いたらダメですよ」という、全ての学問に共通するルールがある。

これに反する行為を「剽窃(ひょうせつ)」という。

敢えてわかりやすく「パクツイや無断転載まとめサイトと同じ問題」と言っても良いだろう。

まともな大学なら、学士課程の初年度から、論文の仕組みと構成と書き方を徹底して叩き込まれる。そのような全学生必修のプログラムが存在している。

これと並行して、色々な講義でのリーディングとディスカッション・演習・実験と、そしてレポート執筆にひたすら追われる。いずれの講義も、知的生産を行う上で、非常に興味をそそられる構成をしており、かつ学生には専攻を選択する自由が確保されている。

この全体の仕組みの中で「剽窃はダメだよ」というメッセージが、実践を通じて徹底して繰り返される。

また実際に剽窃したら、大学や大学院はおろか、学問の世界から追放されてしまう行為であることも強調される。

日本で「大学がつまらない」「論文が書けない」ということに悩まされる学生(あるいは後者のような学生に悩まされる教授)は、こういう仕組みの有無を基準に、自分が関わる(学ぶ・働く)大学を選ぶ他ない。

単にアクセプトされる論文を書こうとするだけでは、本末転倒で誰も面白くもなく、中身のない剽窃の始まりになりかねないんだろうね。

「ボキャブラリー」の本音

物事を言語化し、他者に的確に伝えられるならば、その人は十分に有能だ。

この能力の有無は、様々な分野の知識の多寡で決まる。

前工程として、知識を蓄え表現するツールであるボキャブラリーが欠かせない。

ボキャブラリーを操れるということは、言語を通じて物事を操作できるということだ。

ただし、単にボキャブラリーが多いだけでは「ただの受け売りでしょ?」と喝破できてしまう点にも注意したい。

ボキャブラリーを(つまりは言語を)使って、仕組みや概念やアイディアを出し、実行することが知性である。ボキャブラリーが貧困である状態では、知性はどうあがいても追いつかない。

外国人が喋る日本語を怪しく思ったり、日本人の扱う英語が幼稚に聞こえる場合がある。これは、実際の知性はさておき、ボキャブラリーが知性を反映してくれないから生じる現象なんだよね。