「ネットのおかげで教育コストが下がった」の本音と扱い方

大多数の人にとっては、ネットのおかげで教育のコストが下がったことで、
プログラミングにせよ英語にせよ、スキル獲得の新規参入は格段に容易になった。

かといって、自由自在に作りたいものが作れるプログラミングのスキルが3ヶ月でつくわけでもない。
それどころか、Excelで自由自在に数字を作り込むことすらままならない。

かといって、英語でプレゼンテーションや交渉や知的生産ができるようになる機会が増えたわけでもない。
そうでなければ、知的生産にもキャリアにも一切プラスにならない。
仮に喋れたとしても、おべっか使いの英語では外資でも日系企業もただのサラリーマンだ。

教育のコストが下がったという表現は、
「情報弱者向けのビジネスとして展開するコストが下がった」
という意味が、現段階で裏に隠れているというだけに過ぎない。

これはつまり、ネットだけで学びづらい基礎分野が、
相変わらず有利であり続けているということだ。

その先まで自由自在にアクセスするには、
古典や論文を読み、かつ懐疑し革新的な解決策を探るアカデミックスキルが必須だ。
英語圏の充実したオンラインコースを持つ大学や、放送大学などごく一部の事例はさておき、
包括的・系統的に学ぶことの仕組み化は、日本では確実に遅れている。

「コストが下がった!」という事例を強調しているにも関わらず、
大学在学中に麻雀や競馬や飲み会にふけり、単位取得は過去問集め頼み…という笑えない実情がある。
これでは、試験対策以上に頭をつかう系統性がないため、教育を論じる上で明らかに説得力に欠けてしまう。

お金があるなら、欧州や北米の大学で学び直せばいいんだけど、それを本気でやっているほど知的好奇心のある人は「コストが下がった!」ことで騒ぐ層にはいない。
結局は、中身のない情報商材と同じような意図が隠れていると言えてしまうよね。

本や文献(動画形式での補遺もOK)を読んで、知的コミュニケーションを取ることに重きを置く。
このコストパフォーマンスが一番良いという点は、ネットのありなしに関わらず変わっていないんだよね。