「教養」という概念がAIや社会の出来事で用いられやすくなっているから、明確にしておこう。
「教養」は、立ち居振る舞いを含めて陶冶(とうや)される人間性や専門性の根幹や基礎だから、「教養をひけらかす」のは根本的に言葉の辻褄が合わない。
正確には「雑学をひけらかす」とか「人間性を無視して専門知識だけ言い放つ」とでも言い換えるとしっくり来る。
現実解。
AIは教養を得られるのか、それは演算の結果出てきたものなのか、機転をきかせる立ち居振る舞いができるのか、見据えていこう。
相手に伝わり、善性を広めることが本質だもの。
ボックスコックスネット、遠藤武。