何かを説明する上で、理屈が通るように話すことは、最低限の条件である。
これと逆に「理屈っぽさ」ばかりがうるさく虚しく響き渡り「だからなんなの?それは理屈ではなく感想だよね?」という場面に出くわす。
このとき話し手は、完璧に理屈が通っていると思い込んでいるいっぽう、実際は感情的な持論と混同しており、周囲をうまく見渡せていない。
この原因は、話し手にとって不都合だったり、予期していなかったりする場面に対し、カチンと来る状況に打ちのめされているということである。
「理屈が通る」ように話したり書いたりしたいのならば、自分にとって不都合な物事や事実が出てきたとき、
・普段よりいっそう面白がる
・敢えて負けを認める
くらいの余裕が必須である。
このとき、変に冷静になろうとしたり、注意深くあろうとすると、かえって余裕がなくなってしまうので注意が必要だ。
ただし、以下のような相手の場合は関わらないほうが身のためである。
・知識の水準があまりにも低すぎる
・知識があるが、先行研究を無視するなど中途半端
・そもそも何らかの関連当事者として結果ありきの発言ばかり
・そもそも人間の自由や尊厳を尊重していない
これって、理屈以前のお話だよね。