「ミス」への本音

daily0 本音たち。

どんな人でも、ミスを起こさないということはない。

「自分ならありえない!」という低確率のミスが自分に生じた場合は、むしろあっけらかんとするほどサッサと自分から折れ、ミスを愛でてやるといい。

これを心がければ、
・他人と自分のミスを許せる
・立ち向かうための仕組みを作る余裕が出る
・言語や現象ではなく、背後にある動静を配慮できる
という余裕が出る。

この余裕を使い、ミスをスカッと笑い飛ばすくらいの軽やかさがあれば、なお健全だ。

また、ミス自体が本当に全面的に当人のせいなのかは、正直なところ誰にもわからない。
・構造上もたらされたミス
・心理的な壁でもたらされたミス
・当初から取るべきでなかった選択肢を不可避的に選ばされたことによるミス
など、ミスを掘り下げると、原因が自分の埒外にあるケースが簡単に見つかる。

ミスしたとき、腑に落ちず、釈然とせず、悔しい感情が渦巻くのは、自分がコントロールしきれなかったことに起因するのである。

細かいミスを気にして、誰も彼もが恨み合うのが世の常だとするなら、「恨みっこなし」という爽やかな感性で上書きしてしまうくらいで、物事は丁度良く収まる。

せっかくミスをするなら、呆れられるほど堂々と虚心坦懐に負けを認めるといい。

これがミスに根本的に対処する、良いスタート地点なんだよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

↑↑↑
詳細は上記リンクを参照
↑↑↑

■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

boxcox.netを講読する
タイトルとURLをコピーしました