畏敬の念は、知恵と勇気の両方に対して抱くべき対価だ。
テンプレート的な物事や、フォトジェニックな売り込みや、「すごくないよね」と感じた物事全般に、わざわざ抱く感情ではない。
例えば「時代の寵児」としてもてはやされる人がいたとしよう。
その人の発言や発想を聞いて、
「これ、ただのテンプレートでしょ?」
「根本的に知識を間違えてる!」
「奇をてらってて中身がないよね」
という箇所があったなら、それはあなたが上書きするチャンスだ。
イマイチと感じた内容の真実は、中途半端なポジショントークで生じた自滅とでも思っておけばいい。
より的確に、あなたの本音と興味で対象を上書きし、あなたが畏敬の念を抱かれるような環境を導いてしまえばいいのだ。
必ずしも、ひたすらベラベラと発言する必要はない。むしろ、切れ味の鋭い一言が、畏敬の念を抱かせる。
奇をてらわない朴訥による上書きこそ、実は雄弁な知性なんだよね。