「誤読」の扱い方

daily0 本音たち。

仮に本や文献を誤読したとしても、それが知識の再発見につながれば儲けものだ。

誤読したとき、以下のような流れが生じたとしよう。
・ほうぼうからツッコミを頂く
・悔しいので知識をもう一度見直す
・理解し直す(または「あれ?やっぱりこれ誤読とは言えないんじゃないかなあ?」と思い掘り下げる)
・これらをフィードバックしてアウトプットにつなげる

このサイクルは、知識や知見を獲得・創造する手続きである。

例えば大学で、文献を読み込み、少人数で集まってディスカッションをすることのメリットは、この流れを意図的に創り出すことにある。

誤読が少ないに越したことはないが、誤読があっても構わないという発想は、文献から新たな発見を得ることにつながることにある。

これは知的生産の基礎の基礎でもあり、ビジネスを立ち上げる流れでもあり、偶然を味方につけるための戦略ということだ。

インテリジェンスのある人が、情熱のあまり書き残した「誤字」だとか「言い間違い」には、そのウラを読み解くに値するエネルギーが詰まっている。
「誤読」の掘り下げも、そこにエネルギーを注ぐ価値があると思っておくくらいで、余裕が出るよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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