仮に本や文献を誤読したとしても、それが知識の再発見につながれば儲けものだ。
誤読したとき、以下のような流れが生じたとしよう。
・ほうぼうからツッコミを頂く
・悔しいので知識をもう一度見直す
・理解し直す(または「あれ?やっぱりこれ誤読とは言えないんじゃないかなあ?」と思い掘り下げる)
・これらをフィードバックしてアウトプットにつなげる
このサイクルは、知識や知見を獲得・創造する手続きである。
例えば大学で、文献を読み込み、少人数で集まってディスカッションをすることのメリットは、この流れを意図的に創り出すことにある。
誤読が少ないに越したことはないが、誤読があっても構わないという発想は、文献から新たな発見を得ることにつながることにある。
これは知的生産の基礎の基礎でもあり、ビジネスを立ち上げる流れでもあり、偶然を味方につけるための戦略ということだ。
インテリジェンスのある人が、情熱のあまり書き残した「誤字」だとか「言い間違い」には、そのウラを読み解くに値するエネルギーが詰まっている。
「誤読」の掘り下げも、そこにエネルギーを注ぐ価値があると思っておくくらいで、余裕が出るよね。