「論理的に考えれば、無謬であり無問題だ!」
そう思い込むとき、感情が論理を捻じ曲げるリスクを思い切り見落してしまう。
「論理的」という表現や視点で、感情をごまかし、
嘘や矛盾を抱えていることに気づけない論理のまま動くことは多々ある。
論理を支えるために用いている知識について、基礎や先行研究を無視したまま「間違っているわけがない」と言い張り、
アップデートせずにいる態度は、感情的な人の論理だ。
また、論理的であることを強調するがあまり、反感を買って仕事を干されてしまっては、
自慢の論理的な思考は絵に描いた餅でしかない。
これでは、いかに「論理的に考えた」と言い張ろうとも、
カッとなって言い放ったクチから出任せと同値だ。
論理的な流れを基礎としつつも、論理を放つ人間の感情に寄り添ってみよう。
感情のロジックを外から眺めるくらいの余裕があれば、
論理や知識やデータに飲み込まれてしまう可能性をグッと減らせるんだよね。