データ分析が「可視化して終わり」「提案して終わり」になるのは、権限不足と行動不足によるもの。

データ分析ここだけ話。

何となくデータ分析を始めても、組織や自分の行動変化につながらず、

可視化や提案で終わってしまうことが多々ある。

この原因は、

・分析者に意思決定権がない権限不足

・実力や準備が甘いため起こる行動不足

のいずれかに起因する。

 

巷で言うデータ分析の技術は、データを整頓する手段に過ぎない。

それはFP&Aであっても、アナリティクスであっても、統計予測であっても、財務モデリングであっても同じだ。

仮説とゴールを設定して、ピカピカの洞察を出したとしよう。

その洞察が、いかに正しく実行可能な粒度だとしても「お前に言われたかないよ!」で終わる権限不足なら、その分析は徒労に終わる。

あるいは権限があったとしても、実行不可能な前提と粒度で「これじゃ行動できない!」で終わる実力不足なら、その分析は混乱を招いて終わる。

上記2つとも、データ分析あるある話だろう(本当は「あるある」ではダメなのだが)。

 

そうではなく、データ分析がうまくいっている流れに着目しよう。

統計的品質管理(SQC)は、製造現場の検査ロットに対応の実情を知って、それに対応した行動を取るまでが一連の流れであり、製品の価値向上という行動を必ず伴う。

FP&Aは、PL・BS・CFの予実差異の掘り下げにより企業の実情を知って、それに対応した行動を取るまでが一連の流れであり、予算達成と企業価値向上という行動を必ず伴う。

財務モデリングは、フリー・キャッシュ・フロー(FCF)の算定により企業価値や事業価値を評価して、それに対応した行動を取るまでが一連の流れであり、投資判断と売却益を出す行動や意思決定を必ず伴う。

アナリティクスは、KGIとKPIの設定や、商品やサービスの顧客動向を予測することで、それに対応した行動を取るまでが一連の流れであり、売上向上のための行動を必ず伴う。

このように見ていくと、権限と行動がワンセットでデータ分析が意味を持つのであり、根本はデータ分析の技術や設計ではなく、組織やビジネスモデルや立場の話に行き着いてしまうのだ。

 

現実解。

このような場合、まず「立場を上げるためにデータ分析を活用する」とか「ビジネスモデルを再定義する形でデータ分析を活用する」というように、逆から捉え直すほうが手っ取り早い。

というのもデータ分析は、耳の痛いことや言われて不快な事実を、ありのまま受容することが根底にあるためだ。

 

追記。

ありのまま受容できず、権限と行動を駆使せず、目の前で起こっている状況を現状維持で過ごすなら、まともなデータ分析は邪魔なだけである。

そのような組織に関わっている場合、勇気を出してさっさと見切りをつけるしかない。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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