「データ分析がうまくいかないとき、そもそも大事なことは何ですか?洞察することが重要だとはわかってきたのですが、単に分析の技術だけで成り立つとは思えません。」
データ分析に大事なこととして、「妄想と行動」を挙げた。
そもそも妄想と行動は、洞察の源泉であり、
これを欠いてしまうとデータ分析は100%失敗する。
平たくいうと、
「妄想しません」=「なので、理想も理念も、楽しいことも、思い描きません。」
「行動しません」=「なので、今のまま一歩も動きません。」
ということになり、現状維持に追いやられ、洞察ゼロになってしまうのだ。
このとき、データをいくら集めても、データをいくら読んでも、目的は果たせないし組織は機能しない。
「なんだぁ、そんなの当たり前じゃないか!」
そう思う方は多いだろう。
その通りであり、ごくごく当たり前である。
当たり前に没入しすぎて、失敗するパターンに気づけないのが実情だ。
そもそも、洞察すること自体が現状に対して反逆的であり、当たり前ではないのだ。
ストレートに言い切ろう。
現状維持しないということは、自分にとって嫌な事実を認めることだ。
事実を認めることで、洞察が出せるのだ。
常識で聖域を作ると、すべて現状維持で終わる。
事実を認める勇気がないばっかりに、洞察が出せなくなる。
時として「見たくも聞きたくもない!」が実は致命的に大事なことに直面したり、
時として「部下のくせに何を生意気な!」と怒り心頭に発する事柄に触れることもある。
これが洞察の本質だ。
さらに、知らないことや経験したことがないことも照らす必要もある。
偉い人が用意した意見が「事実として役に立たない」と直言する必要もある。
業界の通例だと思っていた物事が、実は「業界の儲かっていない最底辺の通例」だったということなどよくある。
これらをはね飛ばして、勇気を持って洞察を出すことが、データ分析の大前提なのである。
現実解。
「今の状態から変わるのはイヤです」
と言い出すことが許されなくなるのが、データ分析の本質だ。
データ分析に関わる人が、FP&Aを筆頭に待遇が良く、強い権限が与えられるのは、
「事実をデータとして用いて、組織をアップデートしていってほしい」
という本音の現れだ。
boxcox.net、遠藤武。