マネジメントの使い方とは、果たすべきゴールに確実にたどり着くことにある。
売上を上げたり、利益を出したり、また組織や世の中に愛をもたらすといった、
個別に設定した目的を導き出すための、「愛のある経営管理」ということだ。
この逆。
愛のない経営管理とは、余裕を自分から消す、マイクロマネジメントである。
マイクロマネジメントとは、シンプルに言えば、管理のための管理だ。
なぜ管理のための管理がダメなのかと言えば、臆病のごまかしだからである。
事実に向きあう意思がない臆病や不安に、マイクロマネジメントが起こる。
あまりに細かく指示しすぎたり、あまりに細かくマニュアルに書きすぎたり、箸の上げ下ろしまでガミガミ言うと、お互いの不安が増幅してしまう。
これを避けるには、事実を前向きに捉え直す形で受容する。
その上で、愛のある仕組みを、受容した事実から逆算し創るだけだ。
愛があれば、余裕ができる。
余裕があれば、愛がある。
これはどちらも正しい。
小規模なオーナー企業の場合。
言われる側のスタッフも、言う側の経営者も、マイクロマネジメントでは例外なく消耗する。
これでは、管理のために現金と時間を無駄に燃やしているだけであり、何も生産しない。
生産するには、叱って締め付けるのではなく、伸びやかに動ける仕組みを用意するだけでいい。
経営者が、余裕と愛のある組織を創るために、自分から変わっていくほかない。
中規模・大規模な企業の場合。
経営者がマイクロマネジメントに気づかず、中間管理職を放置するという状態は、能力のない管理職に無駄な報酬を支払って、時間とお金を燃やしているだけだ。
マネジメント能力のない管理職は、例外なく余裕がなく、愛もない。
そのような「管理出来ない管理職」は、何が何でも採用しないように回避する必要がある。
経営者と管理職をすげ替えてでも、余裕と愛のある組織を創っていくほかない。
経営者がマイクロマネジメントに気づかず、中間管理職を放置するという状態は、能力のない管理職に無駄な報酬を支払って、時間とお金を燃やしているだけだ。
マネジメント能力のない管理職は、例外なく余裕がなく、愛もない。
そのような「管理出来ない管理職」は、何が何でも採用しないように回避する必要がある。
経営者と管理職をすげ替えてでも、余裕と愛のある組織を創っていくほかない。
人が関わる以上、余裕と愛が常に生み出される場所からのみ、価値が生まれる。
どんな目的を達成するために、どのようなマネジメントの仕組みを用意しているのかを、常にアップデートし続け、即答できるようにしよう。
「そこに愛はあるか?そこに余裕はあるか?」と自問自答し、行動を改めるだけで成長できる。
余裕と愛を仕組み化し、演出できれば、そっくりそのまま組織の教育になるのだから。
..遠藤武