経営 その11 〜 ウソと創造。

daily1 商い。

経営におけるウソとは、不足をごまかすことである。

これは、単に経験不足や事例不足や思考不足のごまかしを意味することもあれば、
隠蔽や情報の非対称性によって、取引先をデータ不足に追い込むことも意味する。
粉飾はその最たるものだと言っていい。

経営における創造とは、この真逆である。

不足があったとしても、それをカバーできる思考力や、

既存の経験や事例を調べ抜いて転用していくだけの知的体力があれば、

それだけで正面から突破していくことができる。

生産的な議論には、具体的な知識や事例やデータを伴うし、
そのような議論は実態との整合性が十分に取れる。

文字通り「知的生産」と考えて差し支えない。

例えば「書くこと」であれば、経験不足や事例不足で留まっていると、
書いた記録が不完全なものとして、ずっと残ってしまうことになる。
下調べが足りていなかったり、そもそも調べ尽くしていなければ、
現実に即した行動など不可能なのである。それを一切理解せず書いているものは、分かる人が見れば、おおよそ弱点を浮き彫りにできてしまう。

自分が使って来た例をいくらか挙げよう。
「有価証券報告書や財務諸表や総勘定元帳を見て、経営上のごまかしを判断する事が出来る。」
「支払いの悪さや言行不一致から、内情にウソをついていることを推定することが出来る。」
「ITシステムを作る上で、手順書の出来の悪さからスタッフのスキルや稼働品質に当たりを付けることが出来る。」
という具合。

もっと言えば、論客らについて、
「基本的人権や、公共の福祉や、基礎的な数学の知識や、論文作成のトレーニングを無視した発言から、根本的な人文(科)学・社会科学・自然科学の知識不足や経験不足を見抜くことが出来る。」
という視点も持てる。

要は、知識や事例や推定に基づいて物事を細分化し、かつ要素ごとに束ねていくだけだ。
知的生産の仕組みを通じて、ウソを見抜くことも出来るし、創造していくことも可能というだけに過ぎない。

これらは個別で見れば、
監査や内部統制や品質管理や与信管理や心理学といった、
テクニカルな話に落とし込むがいくらでもできる。

現実解。
いくら一方的に情報発信しようとも、
このような事例や仕組みに通じていなければ、
結果的に「創造しているフリというウソ」をつけてしまう。

その逆を取ると、具体的な知識に精通し組み合わせていけば、
起こしたい物事を現実に起こすことが可能なんだよね。

..遠藤武

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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