強者は、弱者をつけあがらせながら、自分が堂々とつけあがっている。
弱者とは、つけあがらされていることに気づけないからこそ成立する。
この立場の違いと共通点を可視化すれば、静々と突破口を見出せる。
現実解。
お互いがお互いの立場でつけあがっているからこそ、
強者と弱者の心理がそれぞれ成り立つ。
今回は、このサイクルから脱したい人向けのお話だ。
この適用範囲は、組織内での上下関係、競合他社の動きから、
果ては社会的な弱者・強者までを想定している。
弱者について。
そのまま弱者として支援する・支援されるだけでは、途中で限界が来る。
弱者だからこそ、弱者であることを素直に認め、徹底してルールを網羅し、時にルールを作り、有利に物事を進める必要がある。
それが社会福祉の場合もあれば、事業を起こして経済的に成長・成功する場合もある。
また、ルールブックである法律や学問やテクノロジーを知らずして、物事を決めつけるのはもったいない。
自分が弱者であることに負い目を感じ、コンプレックスを持つことには、特段意味はない。
弱者であるからこそ、まず出来ることが、目の前に広がっているだけである。
つけあがった強者が出す情報に、弱者が煽られ、一緒になってつけあがらされる必要は、一切ない。
強者について。
現段階での強者が、どのように有利に事を進め、またどのような馬鹿げた間違いをやらかしているか。
これを、現時点で強者だろうと弱者だろうと関係なく、調べ尽くす。
世界で誰でも知っている企業の創業一家であり、世襲である圧倒的な強者が、世襲ゆえに判断を鈍らせ失策している状況を目の当たりにした。
このほか、元弱者の強者である優等生や成功者ですら、弱者時代のダメージやクセが抜けないケースがある。
強者であるにも関わらず、強者ゆえに、自覚できない物事に苦しむケースは少なくない。
これらは極端なケースだが、これよりも小規模なレベルであれば「本当に強者なの?」と言いたくなってしまうような事例は、実は少なくない。
これを「ほれ見たことか」というコンプレックスの発露に使おう、と言いたいのではない。
むしろその真逆だ。
知識を淡々と回収し、適当に「つけあがらされた弱者のフリ」でもしておけばいい。
その上で、失敗事例や心理学や社会学を参考に、自分が取るべき道の解像度を上げればいい。
ぶっちゃけてしまうと、つけあがらされた弱者がいなければ、強者がつけあがることもない。
現状に突破口を見出したいなら、弱者も強者も関係ない。
「つけあがる競争」に一切関与しないだけで、十分なんだよね。
..遠藤武