常識のレベルに流されて妥協させられるより、
納得行く範囲を成長込みで定め、主体的に妥協するといい。
妥協する点も、それを破壊した次のレベルも、自分で決める。
現実解。
常識に流されると、意思決定の軸を他人に譲り渡すことになる。
そうなってしまっては、消極的な妥協を押し付けられるだけだ。
そうではなく「よし、自分で決めてここまでやり遂げた」と、
心底実感出来るようなレベルを探るのである。
このとき、成長の可能性を探ることについては、
妥協せず積極的に、かつ楽しく動いていくだけだ。
この探りを軸に「成長しきった、じゃあ次にいこう」というように、
一時点の妥協をぶっ壊し、次のレベルへの模索を重ねることが出来る。
誰かの基準で妥協させられるのではなく、
わざわざ闇雲に高いレベルを設定することもない。
仮に一時点の妥協がハイレベルであっても、
仮に一時点の妥協が軽く超えられる程度のものであっても、
次への成長の可能性を探れるのなら、それで十分だ。
成長込みで定めた妥協とは、
物事を更に叶えて高みに登るための、
ちょうどいい階段なんだよね。
一気に物事を押し進める必要はないし、
少し損やコストや時間を取って、
一段ずつ切り分けるほうが確実だ。
..遠藤武