口頭では、お互いが寛容になるよう接する。
書き物では、知識をわかりやすく記述する。
どちらも、隠れた気遣いのしつこい準備ということ。
この意味。
普段の会話において「名前+さん」で呼んだり、
「私」「ぼく」と自称するだけで一気に柔らかくなる。
書き物において、語の定義を明確にしつつ、シンプルな記述を心がければ、
書き間違いや分かりづらさや、先行研究の不理解を避けられる。
ボキャブラリーが十分にあれば、これはいくらでも工夫が可能だ。
資料のない口頭での知識の言い間違いは、寛容さを保てばいい。
ただし、書き物でのボキャブラリー不足は、ただの準備不足。
もし専門分野の書き物で準備不足をやらかしたら、
その人は「基礎の理解が足りていない」と即バレてしまう。
SNSでの不用意な発言は、テキストが残るので知性が思い切り出る点に注意。
そんな不寛容な人が多いからこそ、より多く学んで、知性を探る。
知性を反映するボキャブラリーを大事に出来るほど、寛容になれるんだよね。
..遠藤武