お金で心変わりしたり、
お金でビビってしまうのは何故か。
「お金の数字はただのデータである」
という点を忘れてしまっているためである。
データとして、資源として、
うまく活用していければ事は足りるのだが、
お金についてデータをデータとして淡々と扱えず、
「お金について、事実を事実以上に拡大・縮小して歪曲に走ってしまう」
というマウンティング気質は、
そもそも準備不足や勉強不足だったり、
人と比較して自分軸を見失っているというだけだ。
客観的に見れば、
お金は価値や信用を交換や保管するための手段でしかなく、
それらはただのデータであり素材でしかない。
データでマウンティングを取るのは、
ガチャを引くソーシャルゲームで、
レアリティの高いキャラクターを引くように、
データに踊らされているだけにすぎない。
もちろんお金が一定以上あるに越した事はないが、
本当に重要なのは資源であるお金を、
どんな本音で誰に使うかを、
適切に決断していくことにある。
資源とは、まずヒト・モノ・お金の3つであり、
更にここに情報・時間が加わる。
ということは、
自分は誰とどう関わって、
どう善く生きるかが、
活用の論点なのである。
いずれも無駄に恐れる必要はなく、
淡々と接すればいい。
事実として、
猛獣は檻で囲って安全が確保されていれば何ともないし、
劇薬である医薬品は用法用量を守って適切に用いれば何ともない。
この事実はすべてデータである。
お金についても同様だ。
情報過多の今、
マウンティングに加担させられる必要は全くない。
現実解。
お金でビビって悩むなら、
お金以外の「ヒト・モノ・情報・時間」という資源を活用し、
それらをお金に還流させていけばよい。
物理現象と真逆で、
お金は低いところから高いところに流れるが、
これはヒト・モノ・情報・時間という資源まで含め、
有効活用できているということだ。
サラリーマンのお金が頭打ちなのは、
資源を有効活用できない側だからに他ならない。
ベストセラーやロングセラーが売れるのは、
資源を有効活用させているからに他ならない。
この事実を認めた上で、
自分に真似できそうな先行事例を実装すればよい。
boxcox.net、遠藤武。