不勉強と古臭さだ。
まず、テクノロジーだけしか知らない人は、
次々と価値が下がっていく。
「データサイエンティスト」という概念が、
機械学習エンジニアやAIエンジニアに収束してしまい、
一方で統計学やモデリングを知るデータアナリストやFP&Aの人材が足りない……、
というように、構造的な不勉強が生じていると言っていい。
これだけなら物事は単純だ。
更に言えば、
この不勉強が広く薄く伝染し、
古臭いままアップデートがされず、
誤解がそのまま伝わってしまう現象が起こっている。
例えば、
AIで簡単に人減らしできると言い張る文系中小企業コンサルとか、
「統計学よりも加減乗除を重視しろ」と言い張る匿名煽りアカウントとか、
もはや勉強をやめたような人が、こう言い張る。
(後者はある意味正しいが、正確には「どちらも重視しないと詰む」「重視しなくていいのは未経験者のまま売上が立っているドンマイなコンテンツだけ」ということである。)
自分の弱点を見せないように巧妙にごまかしたコンテンツや、
「成功」を売り文句にしている情報商材など、
例外なくデジタル化でウソをついた、
誤解煽りの三流コンテンツである。
これらは、微細な差を突いているが、
書いている本人が微細な差をごまかしているという特徴がある。
誤解の例を挙げよう。
(1)「AI化で、使えない人材を不要にできる」
→実際は「人材不要になる仕事は増えたが、ダメ人材はどこにでもいて、なかなか消えない」である。
→そもそも「現時点のAIは、計算機にすぎない」という事実には不言及。
(2)「英語の勉強するより、自分の得意技で勝負しろ」
→そう言い出している本人が、そもそも受験英語どまり。
→薄っぺらい口先だけのネイティブや帰国子女批判は正しいが、それらを超えた知的生産としての英語には、言及ゼロ。
微細な差を突いて、
巧妙に我田引水する例は、
このように多々ある。
巧妙な我田引水のまま、
知識不足で進んだ先のオチは、
単なる情報商材だ。
こうやって退屈に落ちぶれるところまでが、
実力が鈍った人の一連の流れだと言っていい。
現実解。
淡々と、知識をつけてしまおう。
このようなコンテンツに怒りや不快を抱くのは、正しい。
正しさは足し算するより、掛け算でレバレッジを得て学び、
弱点を突いていけばいい。
どのみちこのような見苦しい我田引水コンテンツは、
いくら売れていても既存客向けであり、
知識のアップデートができず賞味期限切れである。
このような退屈を上書き消去すれば、
次の世界を拓けるから、大丈夫。
boxcox.net、遠藤武。