定性分析は、事象と言語を用いて、測り洞察する方法だと言える。
(前提条件)
・事象:思いつき、心象風景、ニュース、常識的・非常識の価値観(文化的・社会的な尺度)、研究事例・モデリング(科学的な尺度)など。定量分析で言えばデータが当てはまる。
・言語:事象をデータとして用いて、距離感や関連性をあぶり出し、記述する手段。定量分析で言えば統計手法や数理モデリングが当てはまる。
(洞察の成果)
事象を言語で切り分けたり、タグ付けしたり、掛け合わせたりすることで、アウトカム(成果)を出すことができる。
小説や詩歌や歌詞は、日常的な感覚から極端に距離が離れてしまいがちだが、あちこちに発散する心理的なざわつきと、種々雑多な形で相関性が高いかもしれない。空想ゆえに非日常的だ。
文芸批評や政治・経済の論評は、日常的な感覚から距離が離れたり近づいたりする様子だが、理路整然と誤った関連性に収束することも多々ある。人文系や社会科学系のデータ分析に近いかもしれない。
(分析)
物事を数学的に捉えるとは、抽象化したり、データで表すことだ。
データがない場合は、「ある・なし」のダミー変数を置いたり、抽象化したまま捉えるしかない。
事象ごとの距離がどれくらいあり、その尺度はどうなっていて、どのような物事と関連性や因果関係や相関性があるかを、言語で表していく。
例えばニュース記事や社会批評で、どこそこのどのようなポリシーを持つ組織が、誰と関わっていて、その背景にどのようなトラブルがあって…と解説されることがあるが、これは言語で事象ごとの距離を測って洞察しているに過ぎない。
現実解。
仮にニュース記事や社会批評を「一種のモデリング」と置いて、そこに誤りがあったとしよう。
そもそも用いるデータがおかしいのか、尺度がおかしいのか、その背景にはどのような{ヒト,モノ,お金}の思惑や属性があって「おかしい」ことになったのかを、想定すればいい。
陰謀論で目隠ししてしまう状態や、陰謀論呼ばわりで事実を逸らす情報には、両方とも要注意。
追記。
定性分析は、抽象化して数学的に測り直す余地があるのでは、と感じさせられる。
距離空間や確率空間ほど厳密ではなくとも、どれだけ距離があるか、事象を言語でどのように切り分けられるか(もしくは不可能か)など。
ただし、安直で強硬な理系文系の二元論や、無意味な抽象化によるデタラメ化の危険性もある。
文字通り、神学論争に気をつけておこう。
boxcox.net、遠藤武。