自分の立ち位置や実力が伸びるという意味の成長とは、
本質的には「少数派になること」を意味する。
これは、子供が大人になる上で経ていく、肉体的・精神的な発達とは全くの別物だ。
ということは、成長できない人も出てくるという事実を認める必要がある。
とはいえ、成長できずにくすぶるというのは、単にもったいないし、自分が心底生き抜いていることにはならない。
こういう時は「成長とはそもそも矛盾している」と、逆から捉えるとよい。
だいいち、自分の立ち位置や実力は、単に世の中の仕組みをなぞって過ごすだけでは伸びない。
世の中の既存の仕組みそのものが、多数派向けに作られたり、なんとなく多数派が思い込んだことがそのまま枠になっているためだ。
枠に対してカチン!と来つつも、いかにショートカットし、枠を自分の眼前から無くしてしまえるかがカギなのである。
「どうせ何も変わらないよ」
そんな多数派の言葉の枠で終えたいのならそれもいいのかもしれない。
それだとずっとカチン!と思わされる側のままであり、感受性強い人ほど耐えられないだろう。
デイリーレポートを読むくらい思考を巡らせる人が、カチン!と来た状態をなくすには、既にカチン!をなくした人の真似をするというショートカットが一番効果がある。
これ自体が、少数派の真似であることに他ならない。
現実解。
成長とはそもそも少数派になることだと気付ければ、わざわざ多数派に一生分の怒りを向けることが無駄だと気づける。
成長するということは、多数派と別なことを徹底するのである。
入り口は怒りでもよいが、その先では「よし!多数派と異なる!すばらしい!」とワクワクしながらコースを作ることにシフトしなきゃ。
boxcox.net、遠藤武。