仕組みとは平たく言うと、有機的に物事を動かすことである。
有機的とは、ひとつひとつの物事が噛み合って全体を創ることだ。
自分の場合、
デイリーレポートの執筆が連載執筆の内容を良くし、
連載執筆の内容が経営者さんに行う「仕組み化」の指南を濃密にし、
「仕組み化」が大企業向けに行う戦略立案のハードルを下げ、
戦略立案がデイリーレポートや連載執筆を強化し、
結果としてサイクルを形成して、実力と信頼を高めているのである。
仕組みに乗っけることを、
自分にも、顧客や協力者に対しても徹底してきているが、
大多数の人は仕組みがなくブツ切りになってしまっていたり、
仕組みがあっても断片どまりで有機的とは言い難いという悩みを常々聞く。
これはつまり、自分に有利な土俵がない状態だ。
淡々と勝つことや、
なんなら勝ち負けを自分から選ぶくらいの圧倒的な余裕は、
自分が楽勝できる有利な土俵でしか手に入らない。
大多数の人はそれをわかっていても実行できないのはなぜか。
みんな妄想と行動をする勇気がないためだ。
我慢や辛抱ではなく、
遊ぶようにチカラを発揮するという価値観は、
すでに仏教で説かれている。
要は自分が苦手なことは極力ほかの人に任せてしまい、
自分が楽勝できることだけに徹することが基本なのだ。
変に「頑張る」という言葉が先行しても、
勝てない上に楽しく遊ぶ感覚もないなら、
そこにエネルギーを割く意味がない。
そもそも自分の人生の時間は限られている。
生まれてから今の瞬間まで、
人間誰もが死に向かって着実に歩んでいる。
ということは、逆から捉え直し、
死ぬ瞬間にどういう前向きで楽しい言葉を発したいか、
自分で先に決めておくほうが健康的ではないだろうか。
現実解。
有機的とは、生きた仕組みであり、一見無駄に見えても実は無駄がない。
「無駄に過ごしてしまった……」
そのように後悔して反省する行動は、勇気があり、正しい。
勇気を振り絞って堂々と後悔したら、流れを変えられるきっかけが得られる。
仕組みとは勇気を出して愚直に気づくことであり、
思い切ってその場でピボット(転換)して、成長していくことなんだよね。
追記。
そうやってちゃんと方向転換できる人は、
常識を疑っているからこそウジウジ後悔する。
そりゃそうだよ、
大多数は何も疑わないのだから、
そもそも後悔という向上心なんかないよ。
後悔することで有機的に行動できれば、
それは失敗を直視して学ぶことに他ならないから、
実は「よっしゃ!」とガッツポーズして良いくらいなんだよね。
追記の追記。
これを「アイツはとうとう狂って終わったな」と言い出す評論家は、常識人だ。
常識人はそれなりにしか成長しない無機質だ。
終わりのない成長をする人は、
例外なく絶対に「ありえない!」という失敗やドロップアウトをしており人間味があります。
人間味がすなわち有機的なのは、
それだけいろいろなピボットから気づけて、
有利な土俵のタネがあるからだと覚えておこう。
boxcox.net、遠藤武。