答えの出ない主観的な問題は、無理に解決しようとしないのも解決法のひとつ。

daily11 スモール分析。

「問題解決こそ大事!」

「否、解決策はあふれているから問題発見が重要!」

このような謳い文句のオンパレードに、お腹いっぱいになっている人もいるかと思う。

特に、内心ウジウジと思い悩むゆえに、「問題なんか解決しない!」と辛くなる人もいるだろう。

 

せっかくならウジウジを武器にしてほしいからこそ囁くが、

その場合「問題解決」という競技種目を、

ヒト・モノ・お金・情報という客観的に答えがある決断の話と、

内心という主観的に納得する話に分けて、

解決のハードルを下げればいい。

 

この意図するところは、

客観的に答えがある場合は、素直に行動して投資対効果や楽しさで決断すればいいが、

主観的な内心の問題の場合は、単に行動するだけだとしんどいと、素直に認めることである。

 

内心とは、自分のメンタルの動きや妄想だが、往々にしてウジウジと思い悩むことがあるだろう。

そのような主観や内心のウジウジ問題で重要なのは、「決断を思い切らないこと」にある。

客観的なものさしと決断で答えが出せる、一般的な問題解決は、世の中に事例がたくさんあるからそちらに譲るとして、

客観的なものさしや基礎知識で1〜2回読み取っても答えが出ないなら、それは無理に答えを出さないほうがいい、主観の話という可能性が高い。

 

季節の変化、卒業や就職や転職、それらに限らない心境の変化など、人は状況が変わることで、主観も内心も変わっていく。

そうでなくとも、今すぐにどうしようもないことや、答えのないことは、騙し騙しやりすごしていい。

無理に変えようとすると、ポッキリ折れてしまうから、無理せずありのままを受け入れてしまっていい。

むしろ、理屈で決めきれない問題は人生においてそうそう数は多くない。主観の話は、できる範囲で動ければ、それで十分正しいのである。

 

またその過程で、客観的なものさしで決断できることと、主観的なウジウジは、疲れない程度に切り分けておくのだ。

客観的に決断できることは、主観にプラスに影響させていくためにも、読書や仕事を通じて精度をあげていく。

客観的な知識がついたり、仕事ができるようになるだけで、少なくとも自信もつくし、お金や地位にも余裕が出る。

その精神的余裕は計り知れなく、活躍した結果、主観的なウジウジを包み込んでしまうことなど多々ある。

極端な例では、フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、同性愛者であることや知識層としての苦悩から精神を病み、自殺未遂を繰り返したが、

恩師である哲学者ルイ・アルチュセールから「仕事によって乗り越えていくといい」とアドバイスを受けたとされる。

病院と性という自分に近い問題を研究の対象としたフーコーは、師の言葉に従うことで、生権力という「人をどう巧妙に生かして支配するか」という概念を提示し、苦悩と格闘しながら没していった。

 

現実解。

ここまでの苦悩があるかないか、哲学者であるか否かはさておき、

客観的に解決できる要素は、ありがたく社会の仕組みに乗っかって解決すればいい。

それだけでは済まない主観的な要素は、決断を思い切らず、客観的に解決できることで支えながら過ごせばいい。

無理に解決させずじわじわと思いを馳せ、妄想と行動を重ねるのも、また解決の道なのである。

 

追記。

つまるところ後から辻褄が合えば、それでいい。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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