結果ばかり目にいくと努力に裏切られるが、過程と結果を楽しむことで継続的に成長できる。

daily11 スモール分析。

「努力すればなんでもできる。努力は裏切らない」と息巻く人や、

「昔は努力すればなんでもできる時代だった」と感傷にひたる人を、

日常のあちこちや、SNSで見かける。

率直に申し上げると、これはどちらもウソだ。

努力はあっさり結果を裏切るし、努力では解決できないことなど大昔から多々ある。

努力を信じると、目先の結果にがんじがらめにされ、ポッキリ折れてしまうまでがオチである。

 

そうではなく、意識的な努力に逃げることをやめ、

結果と過程の両方から、淡々と楽勝できる土俵をつくって、

アップデートを重ねる以外に、本当の解決策などないのだ。

 

淡々と楽勝するとは、過程と結果のサイクルを楽しく過ごし、その結果アップデートを重ねることである。

アップデートできているうちは、少なくとも知識不足で負けることはない。

知的好奇心という、過程を生かした目線で楽しめるからだ。

この逆で、努力に依存すると、結果だけに意識が置かれてしまい、過程を楽しむことが出来なくなる。

結果というものさしに依存すると、過程を生かす知的好奇心が薄れてしまう。

すると行動が「過程と結果を全て丸ごと楽しい」から離れ、「結果を見ることだけが楽しい」にすり替わるのだ。

 

例えば、なんとなく幼少期に算数好きが高じて、小学生のときに高校数学を理解できる結果が出たとしよう。

この結果は、才気に溢れていて、とても素晴らしい。

が、同時に過程に気を遣わないと、大ダメージをうけてしまう状況の典型だと言っていい。

この場合、過程を支えてくれるレベルの数学の知識を持つ人が身近にいないと、

大学入試をダントツのレベルでパスしたまではいいものの、

知識不足で大学数学への連携に失敗して「自分は数学が苦手だった」という結果に移ってしまう。

過程が抜け落ちているから、結果だけしかものさしがなく、ひとつの結果による価値観から先に進めなくなってしまう。

レベルの高い話ではあるが、過程まで意識した話をしないことには、結果が仇となるケースなど多々あるのだ。

 

このレベルではなくとも、

過去の栄光にすがるしかなくなったというケースは、ほぼ結果が仇なす状態だと言って差し支えない。

究極的には、成長やアップデートとは、人生の始まりから終わりにわたる過程の問題であり、

目先の結果だけ見ると、道のりの長さにめまいを起こすだろう。

無邪気に、目先のものさしだけで結果を見て、

その過程の先にある、別なものさしの結果に打ちひしがれるというのは、

悪い意味で行き当たりばったりではないだろうか。

これは、ちょっとどころか、かなりもったいない。

せっかく数多くの知識や知見が本で残されているのだから、

過程すら味方につけ、楽しむくらいで良いのではないだろうか。

 

旅でも学問でも執筆でも、過程に遠回りがあるからこそ面白い。

むしろ努力などいっさい関係ない、楽しい道草の遠回りにこそ、

大発見や自分だけの世界が隠れている。

セレンディピティとは、楽しい心構えの立ち居振る舞いなのだから。

 

現実解。

過程と結果の両面を楽しむためにこそ、努力に逃げず、把握しておく必要があるのだ。

そうすれば、継続的に成長できるものね。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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