継続的に成長する人は、極力「食わず嫌い」を回避している。
その最たるものが学ぶことであり、例えば食わず嫌いして小中学生ときに学ぶことや読書から逃げたり、
あるいはニッチな話だが一般入試の大学受験で特定の科目から逃げてしまうと、その先にかなり伸び悩むことになる。
自分の場合、幼少期に身近にいた親族以外の大人に関し、一定水準を超えた学歴・経歴・実績を持つ例が複数あった。
実情を至近距離でありのまま定点観測して「学ぶ上での食わず嫌いはヘナチョコの始まり」と、ありのまま知ってしまった。
その背景から「学びの食わず嫌い」や「臆見」について、常軌を逸して毛嫌いし、あらかじめ回避する習慣が身についてしまった。
もともと大学受験と無関係な分野を狙っていたが、
一次情報を得た結果として、自分には才能がなく勝てない割に、さして伸び代もないと納得した。
そんなところから、一般入試の大学受験というきょうびニッチな分野に取り組む際、
5教科7科目の共通試験に加え、二日間ある個別試験向けに4教科5科目を対策した。
他に受ける大学もこれに準じており、食わず嫌いがない状態をセットすることに徹した。
併願し合格した先には、入試内容からも入学後も理系文系の区別なく選べる大学や、昔から数学が必要な「A方式」を用意した大学があり、
食わず嫌いを回避すればいくらでも欲しいルートを取って活躍できると踏んだのである。
そのとき同じ問題を解いて試験をパスし、後に活躍している人を複数見かける。
この取り組み方は、思春期前の小学生くらいまでで周囲の大人の影響で科学技術を知ったとか、
あるいは最低でも公立高校入試で8割以上を正答・得点した基礎があるなら、
ちゃんと取っておくべき有利な方策である(その真逆で科目数を減らした中途半端なレベルだとずっと不利に追い込まれる)。
これは読書を通じ、身近だったハイレベルな大人の実態を照らすことで、先回りして気づいていた。
最近では、上と同様の実態を明かす人も出てきている。
現実解。
基礎がないとか、基礎をつける才能がなく、向いていないなら素直に諦めるべきだが、
食わず嫌いで情報不足のまま過ごしてしまったら、自動的に下に逃げてしまう。
本当に嫌うなら「食った嫌い」すべきであり、やるべきことを間違えないためにも、食わず嫌いの回避は必要なのだ。
boxcox.net、遠藤武。