「実力という言葉や概念が、数多くデイリーレポートに出てきますが、親ガチャは実力のうちに入るのでしょうか?失礼な言い方かもしれませんが、親ガチャで勝った人は必ずしも実力のある人ばかりと思えないくらい悲惨だと思っているのですが、遠藤さんはどう考えますか?」
結論から言っておこう。
親ガチャ当たり組は、自分のゼロからの実力のなさを痛感させられるケースが多々ある。
自分の一挙手一投足が、親や祖父や祖母の影響下や支配下にあり、
まるで自分の実力など何処にもないことを薄々感じ取っているのだ。
ゆえに、そこからコンプレックスに悩まされ、かえってイキり散らしたり、
さほど実力がないのに実力があるかのように見せかける。
もちろん、そうではない親ガチャ当たり組もいる。
そういう場合、揃いも揃って、
親や周囲の大人の影響など全く関係ない存在になるか、
個人の実力が必要な分野に興味を持つ。
要は、親ガチャなど微塵にも感じさせず、
たまたま具体的な背景を知って「あの人って凄い背景だったんだ…」と後付けされるだけなのだ。
私は読書と実例からその事実を知り、
個人的にひいきしている孤高の著名人が、
「実は親ガチャ当たり組だったが、それを微塵にも感じさせなかった」
という事実にうっとりしていた。
というのも、
いちいち親ガチャなど気にしていては、
自分のクビを締めてしまうし、
成長のカウンターが途中でストップしてしまう。
成長のカウンターがストップして、
親ガチャでビジネスをしている人が、
何をどれだけ得意顔に自慢したところで、
精神的にも知性的にも幼な子のままであり、
説得力はゼロどころかマイナスだとバレている。
ということは、
親ガチャの有無など気にするより、
自分が好きなことでナルシストになったほうが
全てにおいてシンプルで手っ取り早いのである。
親ガチャは、コンプレックス(複雑性)まみれゆえ、
何をするにしても面倒くさくなってしまい、
ネチネチしてしまう見栄っ張りなのである。
見栄っ張りは、他人の目ばかり気にしてしまうまでが答えだ。
そんなことを全く気にしていない人は、
なんのためらいもなくシンプルに行動しているし、
逆説的だが、当たりである親ガチャの親ともども、精神的にも知性的にも弁えている。
現実解。
親は所詮は他人であり、親ガチャを気にしている時点で成長は止まる。
もちろん、親ガチャをビジネスで使ってお金にしていくことはビジネスモデル的に経済合理性があるが、
それはあくまで実力がないゆえの選択肢だと覚えておこう。
追記。
これを名指しで本人に告げると、面倒なことになるから、黙って自分の人生を生きよう。
ボックスコックスネット、遠藤武。