遅刻常習犯。

daily13 事実の直視。

時間を守ることが基本だと、

普段から何度も何度も繰り返しているが、

かつての私は遅刻常習犯だった。

 

今の私を知る人からすれば、

「え?嘘でしょ…?」

と返ってくるだけだろうけども、事実は事実である。

 

話は高校時代にさかのぼる。

高校時代にずっと遅刻魔であり、極限まで学校をサボっていた。

ギリギリ留年しないレベルでサボっていた。

当時の感覚を事実ありのまま正直に述べると、周囲の感覚すべてが生理的に合わなかったのだ。

その感覚を他人に伝えたことなどただの一度もなかったが。

 

もともと東京23区内で小学生時代を過ごしたが、

そのときから行こうと思っていた都内の高校が、

小学校卒業と同時に都外の他県に引っ越したため、受験できないと判明した。

その程度で腐るほどやわな育ち方はしていなかっため、

そうそうに他県内で代案を見つけたのと、

その他県の地域は父親側の祖母が暮らしていたため、

小学生のときから知っている場所で不安はなかった。

受験そのものはとても楽しく過ごしていた。

 

いっぽう、合格して入学後の結果をお伝えしてしまうと、

何から何まで肌に合わなかった。

何をどうがんばっても、何をどう妥協しても、

メンタリティや価値観やレベル感が、全て自分の見て来たものに合わなかったのだ。

否、がんばって合わせようとした時点で、すべては失敗だ。

もちろん、それを理由に遅刻常習犯になるというのは、

全て自分の身勝手であり、全て自分が悪いとわかっていた。

 

それゆえに、

「もともと東京23区の某所で育った」

という自分の背景を育てた事実は、

その県内ではとうとう一言も触れずに終わった。

言い訳した時点で負けだと腹決めしていたので、

ただひたすらジッと同調圧力に合わせていた。

そのシワ寄せが、遅刻という本音で現れていたのだ。

「自分にとって大事な事実に、意図して触れない」

という発想は100%ウソであり、決して褒められたものではないが、

緊急避難的な「化け方」として少しばかりの面白さを感じていた。

とはいえ、それ以上に何から何まで、

「生理的にすべてが合わない」という状況だった。

努力は全て無駄であり、

既存の価値観をアップデートして、

目線を上げることが全てと悟ったのはこの時だった。

 

繰り返すが、

遅刻常習犯が正しいと思ったことなど、

ただの一度もない。

遅刻をしている自分が正しいと思ったことも、

ただの一度もない。

16歳から18歳の自分は、ただひたすら、

「嫌々やっている自分などダメだな」

「環境を変えないと全く意味がないな」

「得意技を作って楽勝できないなら意味がないな」

と、明確に言語化できなかったなりに思っていたまでが事実だ。

 

だからこそ、その先の動き方については、

「視野狭窄せずこの先の人生で実力をつけ続ける」こと、

「ピークが試験対策や教育過程で終わった半端者にならない」こと、

その上で「楽勝してダントツで勝てる面白い分野」を狙うこと、

「イヤになったら辞めても更にレベルが上がる」ことを仕掛けていた。

要は、ハマれる分野をつくるようになったのだ。

 

遅刻常習は、ハマれる物事にハマっていたら、いつのまにか消えた。

 

現実解。

遅刻常習犯というのは、単に目の前の環境がとても退屈だったり、破局的にキャラクターが合っていないというケースもちゃんと疑っていい。

勘違いしないでほしいが、それが理由で遅刻が許されることなどなく、ビジネスでは遅刻は信頼を100%失う。

18歳までの、バカな失敗をしても笑い事で許される段階なら、自分が成長しつづけるための発想として、遅刻常習犯も使いようであるというだけだ。

 

追記。

この時の生理的な感覚が深く刷り込まれているから、時間や立ち居振る舞いについて常軌を逸してうるさくなったのだろうね。

ボックスコックスネット、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
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■遠藤武のやっていること■

・経営者向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています。

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています。
(2025年2月に60回を超え、同誌の単独連載回数の記録を更新中。書籍発売予定)

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