目標を設定しても、なぜブレてしまうのか。目標設定は本当に必要なことなのか。

daily2 素朴な疑問。

自分の成長や、大小の失敗からの学習を通じて、
目標を後からアップデートしたり、
目標設定そのものを根本から取り替える必要が出てくる。

これは、成長や嗜好の変化に応じて、子供服を卒業したり、
色気を出して大人っぽい髪型を好むようになることと同じだ。

目標設定のために空想してもいいし、ブレていいし、
その根拠は前向きであってもいいし、後ろ向きであってもいい。

「どうせ無理だ」という言葉を正直に信じるのではなく、
生々しい欲求を目標に落とし込むことが重要なのであって、
「でも、もしかしたら可能かもしれない」という期待感を、
100回でも1000回でも1万回でも懲りずに繰り返すことにある。

「目標設定が必要ない」という人で、成長を続けている人は、
実際には目標を明文化していないだけで、
「もっと面白く、何らかの幸福を感じることをする」
ことを頭の片隅では心がけているに過ぎない。

場合によっては、目標が他人に強引ぶりを押し付けてしまうこともある。

仮にそのような歪みに直面してダメージを受けたなら、
その歪みは、その人にとっての成長の材料だとだけ受け取って、
それ以上考えずにさっさと離れるだけでいい。

また、何らかの理由で、面白さや多幸感がノックアウトさせられ、
悲観的な視点から離れられず、目標設定とそのアップデートがないがしろになったら、
そのような悲観を繰り返す自分をまず認めてやろう。

その半歩先で、悲観や妬み嫉みといった感覚がまだ繰り返されるのなら、
それは足りない知識の回収と、出来る範囲での行動が促されているのである。

目標設定などせず、敢えて刹那的な生き方に賭けることも、
また目標のアップデートやその先の成長も気にしないことも、
悲観的な視点を一生懸命に繰り返すことも、
究極的には自分の人生の選択肢の一つだ。

無理に前向きになろうとするだけでなく、
そのようにひたすら悲観を繰り返して飽きた先に、
突然新たな視点が出てくるかもしれない。

もっと言うと、極めて愚直に、
「今の自分に足りない視点や知識を、即時回収する」
ようにするだけで、次のヒントを得ることが出来る。

後ろ向きにブレたことから何かを気づくとき、
それは次へのヒントにたどり着いたことに他ならない。

自分のためだけに目標や問題を設定することとは、
自分に何が出来て何が出来ないか、
何をやりたくて何をやらないか、
といった要素を丁寧に明かしていくことだ。

それは過去に拘泥することでふと気づくことかもしれないし、
もしかしたら現在に対する悲観が背中を押してくれるかもないし、
将来に対する不安が、ふと行動を招くかもしれない。

どうせなら、死ぬ直前まで空想を繰り返して、
前向きだろうと後ろ向きだろうと、
面白く生き抜いたほうがお得というだけだ。

..遠藤武

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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