世の中の物事は、既成品である模範解答や序列だけで解決出来ると、
何も疑いもせず信じ込んでしまっている状況だと言える。
たとえ既成品であっても、知識を得ることそのものは、とても素晴らしい。
それは、外の世界へのアクセスの第一歩だからだ。
その次の段階で、外からインプットし、かつ外に向けてアウトプットしていく、知的生産の過程を踏みしめられるのである。
学問にせよビジネスにせよ、成長のカギはここにある。
ここまでで分かると思うが、
学歴とは姑息な目くらましに逃げるためのブランディングや試験対策ではない。
あるいは「学歴の要不要や是非を問う」という安直な話をしろというつもりも一切ない。
包み隠さず言おう。
一定以上の学歴(同年代の上位数%)と同時に、
学歴だけでは得られない実績や知名度がありながら、
醜くわめき散らしていたり、やたらと卑屈だったり、
人の話を聞いているようで実際には行動出来ないというケースは多々ある。
これは、ひとつの物事や価値観に囚われてしまい、
知識や事例や行動を使って外の世界に踏み出す勇気がなかっただけに過ぎない。
学ぶことが人格陶冶や知的生産に関わることが一切ない、
クイズ番組の勝ち負けのような大衆娯楽で、
その人は動かずに立ち止まっているということである。
勘違いしないで欲しいが、
既成品である知識を得ることそのものは、非常に尊く、
学歴やそれに準ずる知識は確実に得るメリットがある。
物作りで言うなら、既成品があって、
初めてティアダウンやリバースエンジニアリングから学べる。
その先の技術を作ることが可能になるのであり、
学歴や学問は「知識のみで成立するものつくり」あるいは「知の高速道路」とでも言うべき存在だ。
ウェブから誰でも簡単にさまざまな知識を検索できる今では、
「学歴など要らない」という声が聞こえているが、実際は逆である。
むしろアナログかつ人格にくっついた、知性や知的生産スキルこそ、
真っ先に人間が真正面から取り組んで鍛えるべき技なのであって、
簡単にコモディティ化しない物事だと言っていい。
中身のない外面を吹聴して回ったり、マウンティングに走るのは、
外の世界へ踏み出す勇気のなさを認めない、目くらましに過ぎない。
勇気を持つには、学問や知識を通じた、
自分や外の世界との対話が必要なんだよね。
..遠藤武