飲食店を、オーナーの実績から眺めると、その設計思想をよく学べる。
会員制を敷いて数万円単位の入会金を取って大きく話題になっている店舗でも、街の居酒屋出身の感覚のままアルバイト求人誌から人材を集めているとしよう。
価格や調度品に見合った、機転の利く接客などまったく期待できないし、三流に何かを期待するほうが酷である。
これと逆に、いかにも庶民派なお店の作り付けや接客をしていても、マスターの出身が懐石料理店や高級ホテルであるとしよう。
料理も客層も立ち居振る舞いもついつい品良くなり、一流の良さが思いっきり反映されるのである。
現実解。
極論を言えば「三流のトップ」と「一流のビリ」を比べたとき、一流のビリのほうが圧倒的に上ということだ。
正直なところ、一流も三流も、トップもビリも、それ自体に拘ることは品のない言葉遊びでしかない。
そうだとしても、事実に即してしまえば、飲食店の設計思想のレベルが一発で浮き彫りになってしまう。
例えば、「高級」を謳う、客単価7,000円超えの会員制の飲食店で、夜のお店にしかないようなキツいニオイのおしぼりを出してしまうのは、三流のトップだ(自称高級であることはさておき)。
このような「自称高級店」の三流が、アルバイト情報誌から時給1,000円程度で人材を募集している状況を見かけて納得した。
最低で四つ星ホテル以上のカフェやレストランに行き慣れる程度の人なら、これは「高級でもなんでもない、勘違いした自称一流の実質三流トップ」だと一発で判断がついてしまう。
飲食店に限らず、設計思想は、ちょっとした「作り手の日常感覚」に立ち居振る舞いとして思いっきり出てしまう。
物事を良くしたいのなら、ちょっとした物事の下調べやアップデートを、次々と決断していくだけでいい。
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遠藤武