子供なら、知っている絵本や童話から始めよう。
大人なら、知っている小学校低学年〜中学年の国語か社会の教科書から始めよう。
どちらもピンと来ないなら、自分の好きなマンガを掘り下げてもいい。
現実解。
本を全然読まないというのは、
人間だけに与えられた言語を使っていないのであり、
率直に言って何も思考していないと断言していい。
「何を言う、コミュニケーションは取れているぞ!」
というお叱りの声が聞こえて来そうだが、
本は言葉を通じて高品質な思考の材料を貯蔵するタンクだ。
このタンクは経年劣化せず、読みつがれた材料は軽々と時代を超える。
目先の人とのコミュニケーションでは、時代を超えることはどだい無理な話だ。
本を読まないということは、
思考の材料を得られておらず、
コミュニケーションにも自ずと限界が出てくる。
そもそも、仕事でも人間性でもレベルが高い人は、
常に知的好奇心が旺盛であり、大量の読書をしている。
目先の人とのコミュニケーションでは絶対に得られないような、
高品質な思考の材料を、読書から得ているのであって、
読書の是非を問う事自体が間違っているのだ。
リサーチアナリストというアウトプットが重要な仕事を経験した自分としては、
大量かつ偏らない読書こそが仕事のすべての鍵であった。
新聞や業界紙を一日に10〜20紙読むことなどザラだったし、
ときに基礎に立ち返って小中学校の分野に触れ直したり、
ピンと来ない分野については、マンガを含めて歴史を読み解いたりと、
ありとあらゆる手段を使って、突破口を開くアウトプットのために読書をフル活用していた。
物事の突破口は、いつもシンプルに読み漁ることから始まり、
突破口を他人に伝えるには「読んだものを組み合わせて語る」ことにある。
これを逆に言えば、
書かれた文というのは、何らかの影響や元ネタがあり、
どういった組み合わせと経験から、
本やマンガのストーリーが出来ているかを、
調べてしまっていいのである。
何も小難しい本を読むことに集中する必要はない。
心底好きなマンガの元ネタや引用をネット検索でたどって行けばいい。
『ドラえもん』から、昔の西部劇の映画にたどり着くだけでも立派だ。
これは一例に過ぎないが、知っているか好きな分野を、
次々と枝分かれさせて、別な作品や概念にたどり着ければ、読書は成功だ。
好きであれば簡単に出来る読書の入り口は、
シンプルに「知っている」「好き」という、
感性や感情の中にあるんだよね。
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遠藤武