転職や移籍の意義とは、
自分の今の地位から逆算して動向を読み、
挑戦して勝ちからも負けからも学んで地位を上げることにある。
現実解。
転職と移籍は、その準備も含めれば、究極の成長の手段だ。
職務経歴書の準備とは、自分のチカラを事実に即して圧縮することだ。
面接の準備とは、自分のチカラを事実に即して圧縮することだ。
転職や移籍が成り立つためには、有数のヘッドハンターから、
「転職先である企業が喜ぶ(=ペイする候補者である)」
と認められるという前提が、絶対に必要となる。
そのためには、まず自分の仕事において、
圧倒的な量をこなし、圧縮して質を高める。
その上で、自分の事実と向き合う必要がある。
残酷な事実だが「転職先に喜ばれない」という弱い候補者はペイしない。
するとチカラのあるヘッドハンターからは全く相手にされない。
私はというと「ペイするかしないか」という事実と向き合い、
転職・移籍先で活躍して成果を残しつつ、
転職・移籍の準備を通じた一次情報と格闘することを、
成長の手段として楽しんでいた。
つまり、自分のチカラと世の中で求められている物事とを照らし合わせ、
徹底的に圧縮して学び、成長に資すことを楽しんでいたのである。
「圧縮し、次のToDoを見定めて、成長につなげる。」
このサイクルに加え、有能なヘッドハンターと関わってさえいれば、
常に楽しい緊張感が自分の周囲に立ちのぼっていた。
楽しんでいるうちに、勝ち負けから徹底的に学ぶことができた。
複数回の移籍を繰り返し、実績を残した結果、
外資企業のヘッドや、大手外資企業の上級管理職のポジションが、
ヘッドハンターから複数出てくるようになったのも今や思い出だ。
その一方、6社目となる最後の所属先のサラリーマンだった当時、
「周りから猛反対されようとも、現状をあっさり捨ててこそ、更に圧縮して桁違いに成長できる」
「転職・移籍だけでは、これ以上はもう成長できない」
という確信があり、結果として今の自分を生きるようになるのであるが。
転職も移籍も、選考結果が出てしまえば、縁や運が関わるものでしかない。
実際に入社した先で結果が出なければ、その人はそれまでだ。
その際に関わってくれた人。
ヘッドハンターから面接官まで関係なく、
自分の価値を、それこそ命がけでありのまま評してくれる状況が、
ただそれだけで非常にありがたかった。
今だから正直に告白する。
外資企業のファイナンス(=財務会計と管理会計と経営管理の合わせ技)をわざわざ専門分野にしていたのは、
「どう贔屓目に見ても、競争相手は研究開発もマーケティングも営業も経験がなく、自分と比べてレベルが相対的に低いため勝ちやすい」
「他の分野(マーケティング・IT・SCM・研究開発・営業)と掛け算すれば何でも出来る」
「ということは、本気でやれば経営全般について、桁違いで勝手に強くなれる」
と踏んでいたからである。
成長の辻褄が合えば、切り口は何だってよかったのだが、
コンサルティングファームや金融や、外資スタートアップITが既にピークアウトしてコモディティ化した中、
事業会社のファイナンスで経営全般を軸にした攻め方は、間違っていなかったと実感している。
読みがそのまま素直に当てはまり、
独立した直後から年収がサラリーマン時代の倍に増えたことは、
転職活動で鍛えられた、ありのままの成果である。
要は、転職活動にそのまま育ててもらったのだ。
ありのままの事実を直視するための、究極の入り口を創ってもらった。
この縁に、本当に心底から感謝しかない。
(私信)
どうか、お元気で!
boxcox.net、遠藤武。