ピンチの扱い方。

daily4 方法論。

ふと「ピンチだ!」と言ったとしよう。

そこには、ピンチを見過ごし続けた過去があるだけだ。

まずは、見過ごしたことの背景を直視することが先決だよ。

現実解。

「ピンチだ!」に陥ったら、こう考えるといい。
「理屈や常識や努力に逃げても、何も解決しないよ」
「むしろ、本音を出して真似や試行を大事にするといいよ」
「根本的に違う発想や立ち居振る舞いや言葉や環境に、yesと言えばいいんだよ」
という、既存の延長線上にない物事を求められているだけだ、と。

「大変だ」「疲れた」「難しい」「ピンチだ!」
これらの言葉は、単なる描写であり、
さして現実解にはつながらないと認識しておこう。

「ピンチだ!」という感想だけでは、
「ピンチだ!」という事実の中身や背景には、
一切向き合えず、踏み込まずなのである。

当然ではあるが、
「こんな年齢だから」
「こんな時代・世代だから」
「こんな職業だから」
という理由付けをしても、
それは同じくただの描写であり、
既存の延長線上で過ごしているだけだ。

ピンチでガタガタと恐怖に陥ったり、
いつまでたっても頑固に口先でごまかしている人は、
単に目先の常識にへばりつく選択肢を取っているだけなのである。
これを解消するには、
お金を払ってでもうまく行っている人を徹底的に真似して、
既存の延長線上の発想をへし折って行く以外にないのである。

むしろ、大怪我や大病や無実の罪を食らった人のほうが、
目先のピンチごときでガタガタと恐怖に陥らない。
自分の生命が世の中から消えてしまう、
という、見過ごせない痛烈な経験があるからこそ、
外側のピンチなど、どうということはないのである。

見事なまでに逆説的なもので、
「自分の生命がこの世から消えてしまうかもしれない」
そんな痛烈な経験をした人のほうが、
却って生命力に溢れていることは、
直感的にも、多数の一次情報でも、
正しいと言えてしまう。

要は、既存の延長線上にない状況を、
「自分の生命の危機」という極大ピンチを通じて、
血と汗と涙でグッショリしながら、創り上げたということだ。
いくら事実や背景を直視しようと、どうにもならないからこそ、
どうにかなったからこそ、喜びで生命力に溢れているのである。

改めて考えてみよう。
「大変だ」「疲れた」「難しい」「ピンチだ!」
という言葉を、不用意に繰り返す人は、
どのような状況であり、何をすればいいのか。

「自分の生命の危機」という、命がけの極大ピンチに比べたら、
むしろ明確に解のある良問を授けられたと考えればいい。
ゴリゴリと100冊単位の読書にふけって行動したり、
相応のお金を払って師に教えを請うて行動するだけでいいのである。

ピンチこそ抜本的な学びどころであると再定義する、
それくらい堂々としていたほうが、人生は面白いんだよね。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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