分析が超好きな人は、すごく内向的な陰キャ。
対人戦が超好きな人は、すごく外交的な陽キャ。
リサーチアナリストは単に前者だと思われがちだけど、それは誤り。
現実解。
「市場の前提が変わりました、はいサヨウナラ。」
せっかくつくった分析結果や統計モデルが、
そうやって一瞬でゴミになることなど、
リサーチアナリスト時代に幾度となく経験した。
お客様に「これ間違ってるよ」と言われる前に、
事実に基づいて、自分で自説を取り下げる必要がある。
そんなヒンヤリした状況がたまらなく愛おしく、
この突き放してくる感覚が心底楽しくてしょうがなかったが、
一般的に言ってしまえば理不尽この上ない世界であり、
努力ではどうにもならない要素があったと言わざるを得ない。
市場分析に報酬を払うお客様ありきであることは言うまでもないが、
それ以上に「市場こそがルール」という基礎があるのである。
その基礎に基づく、愚直に市場への次の一手を走りながら考えていくだけである。
大局を読んでいれば「次はこうなりうる」と、読めることでもあるのだが。
この教訓は、市場という事実に基づいていなければ、
分析などいくらやってもゴミであり、
行動などいくらやっても無意味という現実である。
事実を知るには、単に内向的な陰キャではどうにもならない。
かといって、単に外交的な陽キャだけであっては、掘り下げができない。
リサーチアナリストには、両方の要素が不可欠であり、
どちらか片一方だけでは、小細工すら効かないのである。
価格相場のあるコモディティであれ、
売れ筋商品の発掘やマーケティングで世を楽しくすることであれ、
市場を読むことは事実と大局に即している必要があり、
事実を見誤れば、はいそれまで、という現実が待ち受けている。
事業の99%は、事実の読み誤りで失速するか、
あるいは楽しくない最大公約数的な解答を出して退屈させてしまい、
結果的に市場の中で突き抜けることができないという具合にシュリンクするのである。
単に対人戦だけで勝てばいいというだけでなく、
単に分析をゴリゴリやればいいというだけでもない。
一見矛盾した要素を、
「どちらも自然にあるのが当たり前」
という形でくっつけ直す。
これは無茶振りかもしれないが、
ごく自然で均整の取れた無茶振りのカオスこそ、
実は「次の一手」が見えてくるんだよね。
boxcox.net、遠藤武。