この言葉は「私は話をしても理解する意図もスキルもありません」という自己紹介だ。
実力の差から少しでも学ぶ気があれば、相手の背景と言葉を一瞥して、
「理解できないということは格が違うから、その場で学ぼう」と一発で納得する。
現実解。
実力があり、本気である人は、
「話をする心理的なメリット」
を相手に呼吸するかのようにプレゼントできる。
私は時間のムダをなくすために、
相手に絶対に時間のプレゼントをする。
私の書いたものを読む時間や、
私と会う時間を、1秒でも多く、
自分の成長に仕向けてほしいからである。
また、私が本気で接すると思った人とだけ、
一対一で会うことにしているからでもあり、
「こりゃ意味ないな」と思った依頼は、
完全に無視することにしている。
そうやって無駄をなくすことでしか、
根本的に本気で成長できないのである。
このように考えを巡らせて行くと、
単に即物的・金銭的なメリットではなく、
「相手が利害抜きについ本気でワクワクする話」
さえ出せれば、実はメリットにつながるどころか、
出した側にもメリットが出てしまう。
本気とはこういうことである。
「話をしないとわかりません。」
そう軽々しくクチにする人は、
残酷だがいくら話をしても一生わからない。
これは時間を無駄にして日常を過ごしているのであり、
相手の時間にメリットを創れておらず、
ということは学びもせず成長もしない。
要は、本気でも何でもない価値観しか、
持ち合わせていないということである。
「話をしないとわかりません。」
とは、口先に逃げて、
目の前の相手に責任転嫁していることに、
全く気づいていない残念な立ち居振る舞いだ。
本気ではない、とは、こういうことだ。
そういう人はデイリーレポートを絶対読まないけどね。
もしデイリーレポートを読んでくれているのなら、
ぜひそのような残念な人から、一瞬で学んでほしい。
もし本気ではない残念な人が、
偶然デイリーレポートを読んで気づけたなら、
その日は本気で成長した記念日だよ。
boxcox.net、遠藤武。