一歩踏み出すとは、踏み出し方を楽しく変えてしまう勇気のことだ。
傷を舐め合わず、事実を直視し、現実で面白い別解を出そう。
うまくいっていないのは、事実を直視せず、解くべき問題を問いていないだけだと気づこう。
現実解。
簡単に言えば、一歩踏み出すとはピボットのことである。
現実が厳しいというのであれば、自分にとって厳しくない形に変換してしまえばいい。
転職でもいいし、独立でもいいし、執筆でも創作でもいい。
「自分にとって当たり前のチカラが、別な場所ではこれほど重宝されるのか。」
自分が移籍・転職を繰り返して独立し、日々そう気付かされる。
デイリーレポートを読むほどに勉強熱心で好奇心旺盛なのであれば、
一歩踏み出すとは、物事の51%超(過半数)を変えることだとすぐに気づける。
「既に一歩踏み出しているのに、うまくいかず苦しんでいる人に失礼だ。」
そのような言葉が聞こえて来そうだが、これは群れた常識人の言葉である。
一歩踏み出しているのに上手く行かないというのは、
自分で一歩踏み出したフリをしているだけのお芝居に過ぎない。
本音では全く踏み出していないからこそ、何も変わらないのである。
99%以上の人が「自分はどうせ上手く行かないよ」「あの人だから上手く行ったんだよ」という、
最大公約数的で退屈な言葉ばかりを、テレビや新聞や雑誌やネットメディアやSNSで聞かされている。
ことを成した他人を、指をくわえて眺めさせられ、「どうせ自分なんか上手く行かない」と思い込まされているのである。
本当にそれでいいのだろうか。本気で斬りかかりたいと思わないのだろうか。
まずは、そのような苦しみや爛れの先には、苦しみや爛れだけが続くと気づくことが先だ。
現状維持でしかない情報のウラを取って、自分のためだけに別解を出せばいい。
一歩踏み出すとは、実際に具体的に変えていくことに他ならない。
世界は自分が思っているよりはるかに寛大かつ広々としている。
自分がほんの少しだけ変わることを重ねていけば、思わぬほどのリターンがある。
事実を先に言ってしまうと、思いのほか世界中の誰もが、
それほど行動していないし、それほど学んでもいない。
大人になってからの復習でもいいので、
まず最低ラインで義務教育の基礎学力を携え、
困ったらとにかく読書を重ね、環境を良くすべく行動していけばいい。
相対的に、行動した人には現実は甘くなると言い切ってかまわない。
多くの人の勉強不足に気づけたら、そこにチャンスがあるんだよね。
boxcox.net、遠藤武。