堂々と、本当に行きたい大学や、
自分にふさわしいレベルの大学を受けなおそう。
就職でも独立でも、絶対にその選択肢が生きてくる。
ありがちな話として、
かつてのセンター試験や、今の共通テストなどに失敗し、
第一志望の大学(旧帝大・早慶レベルの、わかりやすい有名どころ)に落ち、
妥協して受けた地方国公立大学やマーチ関関同立レベルの私大に落ち、
滑り止めにも、そして滑り止めの滑り止めにも落ち、
最後に残ったFラン私大にしぶしぶ進学。
よく聞くパターンではないかと思う。
そんなときは、四の五の言わず、
第一志望の大学群を更に上にずらして受け直すか、
それと同等以上の海外の大学に進学する以外にない。
大学受験は、高校教師や、予備校や模擬試験といった、
教育産業の仕組みに騙されないようにすることが先決だ。
正直に言って、高校教師の圧倒的多数は、
大学受験で言えば「勝ったことがない組」だ。
予備校は、そもそも合格率など当てにならず、
成果の出方が非常に曖昧なままのサービスだ。
一般的な模擬試験の偏差値は、データの構造から言って、
統計学的に当てにならない要素が残っていると断言して構わない。
そもそも大学ごとに、出題傾向が全然違う。
出題傾向が全然違う物事を、共通化しようがない。
予備校が大学入試問題を作問しているケースが一部にあろうと、
それで全部の大学の出題傾向が共通化することにはならない。
そもそもレベルが高い大学ほど、自前の問題を、
誇りを持って創ってふるいにかけているから、
なおさら共通化などしようがない。
つまり、調査票の設計として、模擬試験による偏差値は、
前提が思いっきり粗雑なのだ。
プロならこの事実をきっちり指摘しよう。
統計的におかしいのではなく、
統計学のお作法から言って、
前提のシナリオ作りがおかしいのである。
A判定で落ちることのウラには、そんな事実があることを認めよう。
この真逆で、大学別・試験別模試(東大模試や共通テスト模試…)はすごく役に立つ。
出題傾向を揃えるという、調査票の設計の大前提に沿っているためだ。
作成者の本気度もさることながら、
サンプルとターゲットが絞られており、
統計学のお作法に則っている。
自分の人生なのだから、そのような大前提を知った上で、
事実に基づいて、自分のレベルは自分で選ぶ、
自己決定権を持つ必要があるのだ。
どうやったら自分がハードワークを楽しめて、
根本的な自分の成長につながるか。
ちなみに自分の場合はというと、
生まれ育った場所から、
少し北側に離れた地で、
一切馴染めず居場所が全くなかったから、
一人で元いた場所のお作法を意識して、
行動していたと言っていい。
青白い下町の子が多く、
変わり者をとことん許容する、
都内の谷根千で小学生時代を過ごしたのち、
そこから離れてずっと周りに溶け込めずにいた立場として言うと、
論点は常に前向きに結果を出し続けることにあった。
在学生や卒業生や人数の大小を見て、
少しでもその他大勢と感じた大学や、
自分が鍛えられないとか、
人生のどこかで天井を感じてしまうように、
投資対効果が悪いと感じた場は、
徹底的に回避した。
その他大勢か否かは、
大学受験の場合に限れば、
受験科目の数・質と偏差値で輪切りになる。
いっぽうで、大学ごとに出題傾向が違うという事実が残る。
一般的な模試の結果で輪切りにしても質問票がおかしいのだから、
統計的に見て意味がないと言葉なく感づいていた。
更に言えば、在学時のカリキュラムも、
卒業生の実績も、
何から何まで全く違う。
これらを束ねてストレートに言うと、
輪切りという概念がありながらも、
そこにはグレーゾーンがついてまとい、
その上で合格した直後にリセットボタンが押され、
輪切りという概念が消えてしまうのだ。
この矛盾だらけのグレーゾーンで妥協せず、
感づいた事実から言えること。
・不安なら、試験以前に出来るだけ早いうちに超基礎(高校受験や中学受験)から学び直すこと。
・合格を狙うなら、わかりやすい実績に絞ること。
・文系なら、絶対に数学や理科から逃げずコンスタントな成長を狙うこと。
この3つを守れば、
実は大学受験のハードルは一気に下がる。
その上で自分の場合は、合格した複数の大学から、
「なんでそっちに行かなかったんだ、おかしい」と、
あちこちから言われる選択肢を取った。
自分の進学先として、自分のレベルが10年後もその後も、
確実に上がり続ける場を当然のように選んだだけなのだが。
投資なのだから、至極当たり前の選択肢だった。
試験では誤答を選んだら不合格だけど、
人生では、敢えて多数派と異なる答えを選ぶ必要がたくさんある。
それはなぜか。
既存の誤答は、実は正答だったと証明し、別解が出来るからだ。
これは、仮説を立てて検証していく、学問のあり方そのものであり、
大学で学ぶアカデミックスキルだ。
実際の進学先でなければ、この視点は絶対に身についていなかった、
誰もが認める世界基準のスキルということだ。
ただし世界基準だと、
大学はすべて上方向に極端にレベルが輪切りにされたあとだから、
ペーパーテストでの下剋上が成り立たないんだけども。
スタート地点では言うほど輪切りにされていない、日本の大学受験。
この事実に、まずは感謝しよう。
機会の平等があるからからこそ、
工夫して基礎から楽しくやりなおせる本が毎年多く出ている。
それだけ学ぶことの尊さを知っている人が、
実力者に多いからなんだよね。
boxcox.net、遠藤武。