目先の一挙手一投足とセリフに着目しよう。
それは、将来を創る自分の台本だ。
目先の台本を素直にしつこく変えるだけで、変わっていける。
現実解。
根本的なことを言うと、
そもそも自分の目先の一挙手一投足や発言を、
無理やりでも変えていないということは、
「現状維持を自分で選択している。」
というだけである。
「なぜ同じことを繰り返すんだろう…。」
そう繰り返し思い悩む人は少なくない。
私は立場上、そのような相談を受けることが多い。
そういう人は決まって、
「将来像を生々しく考えて創ることを放棄している。」
と言い換えても構わない。
もっとストレートに言い切ってしまえば、
変わる意思ゼロということである。
人にアドバイスを求めておきながら、
「そうは言っても…」「難しい…」
と、もっともらしく理由付けし続ける人がいる。
率直に言ってしまえば、
変わる意思に理由など一切いらない。
理由など全部後付でかまわない。
変わる上で必要なのは、
客観的で科学的な方法ではなく、
主観的で演劇的なシナリオづくりだ。
変わりたければ、変わるためのシナリオを創るか見つけ、
ひたすら台本を真似しつづければいい。
変わる上で「これだ!」という台本に乗っかればいいのである。
例えば、桃太郎が鬼退治しに行く上で、
「そうは言っても、鬼退治は難しい…」
と言いだすとは、さすがに想像しにくい。
桃太郎の鬼退治を、
業績向上や新事業や独立や転職になぞらえるなら、
きびだんごはどのような味や効能があり、
どのような正確のイヌ・サル・キジがいて、
その上でどのように勝ち筋が考えられるか、
そもそもこの場合の桃太郎はどういう言葉遣いをするか…、
という点について、生々しく「これだ!」という、
ピンと来るキャラクター設定をすればいいのである。
「そうは言っても、鬼退治は難しい…」
あなたはいつ消えるかわからない自分の寿命を使ってまで、
そう言い出す桃太郎になりたいだろうか。
あなたが小学校1年生で、学芸会で正統派の桃太郎を演じるとき、
そのようなセリフを、台本を無視して言い出すだろうか。
桃太郎から離れよう。
現実のシナリオで言えば、
変わるための意思決定など、
「何となく」だけで全く構わないのである。
鬼退治よりはるかにシンプルだ。
「何となく」面白そうだからプログラミングを学ぶ。
「何となく」面白そうだから自分でビジネスを創る。
「何となく」面白そうだから自分の企業を時流に乗せ改革する。
始まりは、たったそれだけでいいのである。
それでもどうしても目先から変われないというとき、
経験的に言える事実を知って、台本を壊す必要がある。
全く異なる世界の経験や感度がないままで40代に入ると、
目先の物事から無意識に離れられないという事実だ。
例えば、組織や業界の常識の中に閉じこもり、
口先で誤魔化すことだけがうまくなることが挙げられる。
そうなってしまい、独立して実績を出していても、
サラリーマンの腐れ縁を遺したまま、
テンプレート人生を歩む人は少なくない。
この場合、自分の口先から出てくるセリフや台本やシナリオを、
過去や他人に差し出すことをやめて、
現状の台本をぶっ壊すだけでいい。
桃太郎に戻そう。
「そうは言っても、鬼退治は難しい…」
そう言い出す桃太郎の役を演じているのだから、
さっさと壊して、本来の桃太郎を素直に演じればいい。
目先の台本を壊して書き換えて、
そっくりそのまま将来につなげていくのである。
もうしつこく言わなくてもわかるかもしれないけれど、しつこく念のため。
目先を書き換えて、しつこく将来につなげる理由は、
「何となくそのほうが桃太郎としてかっこいいから」で十分だよ。
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遠藤武