イラッ!が10や100重なると、怨念になる。
怨念は強烈な当事者意識のエネルギーなのだから、
粛々とプラスに転向させると、凄みと魅力が出る。
現実解。
怨念に囚われると確かにマイナスだが、
怨念は、乗り越えるハードルだと捉えなおそう。
イラついて嫌な思いをしたら、
「コンチクショー!」
と、徹底抗戦できる衝動と覚悟が、
一気に手に入ったと小躍りすればいい。
衝動とは「自分から、ついうっかりのめり込んでしまう」才能だ。
「コンチクショー!」という衝動があるからこそ、
物事を変える入り口に立てるのだ。
衝動を半歩下がって眺めて、
のめり込む要素だけをすくい取ろう。
これは短気な人が、怒りを逸らす技だ。
更に、怒りをただの目先の怒りに終わらせず、
自分の行動と思考を変えてしまう自作自演にすればいい。
転んでもタダで起きる必要など、まったくない。
怒りを目先の怒りだけに終わらせないためには、
素直になって、まず自分が変わろうとすればいい。
他人を変えようとはしない。
これは怒りを入り口にした、知恵比べだ。
大多数は、怒りに身を任せて、
知恵を捨ててしまうのだから。
「おっ、怒りが来た。これは自分との知恵比べのチャンスだな」
という具合に、知性を吹き込んでしまえば大丈夫。
もちろん、怒りやイラッ!を誘うような人や物事とは、
二度と関わらなくて構わない。
二度と関わらないと先に決めているからこそ、
愛おしい知恵比べの機会として、
愛でるように使ってしまえばいいのである。
これだけで、転んでもタダで起きないような、
怒りの使いみちの動線が出来ていく。
衝動からエネルギーをもらってのめり込んで、
日々細かいところから全体像までを眺め、
当事者としての視点を簡単に得てしまえばいい。
事実、私自信も、そのような切り返しに救われてきているし、
その結果信頼を得たり、仕事につながったことが多々ある。
そこに愛があって初めて、物事に知性を吹き込める。
「二度と関わらない」と腹決めすることは、
怒りや怨念を愛で包み込むことにほかならない。
怒りの積み重ねとしての怨念から始めた結果、
怒りを逸して、怨念という自分と知恵比べすると、
物事に独自のオリジナルな模範解答が、
愛をもって自ずと作れるのだから、
凄みと魅力が増すのは、当然の帰結なんだよね。
boxcox.net、遠藤武。