すべては怨念から始まる。

daily5 爽快感。

イラッ!が10や100重なると、怨念になる。

怨念は強烈な当事者意識のエネルギーなのだから、

粛々とプラスに転向させると、凄みと魅力が出る。

 

現実解。

怨念に囚われると確かにマイナスだが、

怨念は、乗り越えるハードルだと捉えなおそう。

イラついて嫌な思いをしたら、

「コンチクショー!」

と、徹底抗戦できる衝動と覚悟が、

一気に手に入ったと小躍りすればいい。

衝動とは「自分から、ついうっかりのめり込んでしまう」才能だ。

「コンチクショー!」という衝動があるからこそ、

物事を変える入り口に立てるのだ。

衝動を半歩下がって眺めて、

のめり込む要素だけをすくい取ろう。

これは短気な人が、怒りを逸らす技だ。

更に、怒りをただの目先の怒りに終わらせず、

自分の行動と思考を変えてしまう自作自演にすればいい。

転んでもタダで起きる必要など、まったくない。

怒りを目先の怒りだけに終わらせないためには、

素直になって、まず自分が変わろうとすればいい。

他人を変えようとはしない。

これは怒りを入り口にした、知恵比べだ。

大多数は、怒りに身を任せて、

知恵を捨ててしまうのだから。

「おっ、怒りが来た。これは自分との知恵比べのチャンスだな」

という具合に、知性を吹き込んでしまえば大丈夫。

もちろん、怒りやイラッ!を誘うような人や物事とは、

二度と関わらなくて構わない。

二度と関わらないと先に決めているからこそ、

愛おしい知恵比べの機会として、

愛でるように使ってしまえばいいのである。

これだけで、転んでもタダで起きないような、

怒りの使いみちの動線が出来ていく。

衝動からエネルギーをもらってのめり込んで、

日々細かいところから全体像までを眺め、

当事者としての視点を簡単に得てしまえばいい。

事実、私自信も、そのような切り返しに救われてきているし、

その結果信頼を得たり、仕事につながったことが多々ある。

そこに愛があって初めて、物事に知性を吹き込める。

「二度と関わらない」と腹決めすることは、

怒りや怨念を愛で包み込むことにほかならない。

 

怒りの積み重ねとしての怨念から始めた結果、

怒りを逸して、怨念という自分と知恵比べすると、

物事に独自のオリジナルな模範解答が、

愛をもって自ずと作れるのだから、

凄みと魅力が増すのは、当然の帰結なんだよね。

 

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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