「あのときもっと、ああしていたらよかった…」
究極的には、人生はこのような後悔をゼロにしていくゲームだ。
本気の挑戦は、後悔しているからこそ成り立つ。
現実解。
事実をありのまま言うと、
いまやっていることで何も挑戦せず妥協すると、
全てが低レベル化していく。
ビジネスでも勉強でも、
うまくいくというのは「少数派に立つ」ことである。
大多数は諦めて低レベルに逃げるが、
変わり者の少数派はしつこく続けていく。
しつこく続けた先で根本から学ぶことで、
この部分は続けてよかった、
この部分は悔しさを飲み込んで堂々と負けを認めよう、
という切り分けが出来るのだ。
ということは、究極的な安全策とは、
しつこく執念深く挑戦すること一択だけなのである。
負けを認めるからこそ、
悔しさが後悔ではなくエネルギーに化け、
また次の挑戦を楽しむことができるのだ。
かくいう自分も後悔があったからこそ、
後悔を素直に認め、その次の挑戦を重ねている。
後悔を認めていない・挑戦していない人を見ると、
まるで過去の自分を見ているかのように、
「この人は一生後悔して立ち直れなさそうだな…」
と感づいてしまう。
受験や就職や転職や独立で、
挑戦と後悔の扱い方を知らず、
安易にハードルを下げてしまったり、
素直に負けを認めることをしないでいると、
後悔という言葉すらない状態の後悔が、
一生にわたってずっと尾を引いてしまうのだ。
声なき声は、正直に言うと、
すごくもったいない怨念だ。
どうせなら声を上げて言葉にしなくちゃ。
それだけでも立派な行動なんだから、
声につられて具体的に行動しなくちゃ。
行動したら成果が付いてくるから、
考えるのはそれからでも大丈夫。
例えば大学受験で、受験校のレベルを下げることなんて、
直前期に淡々と腹決めすればいいだけの話。
まだ100日ある段階じゃあもったいない。
boxcox.net、遠藤武。