「こんなの意味ない」から、
意味を見出すのが人間の頭脳と行動の真価だ。
意味を見出すことは、一つの才能のあり方である。
「こんなの意味ない」と言い出したくなる物事は、
意味が全くないからさっさと切って身軽になってしまうか、
意味を見出して更に上に引き上げることに活用するのみだ。
切るか活用するか、
決断のための材料と考えれば、
「こんなの意味ない」という物事そのものに、
根本から意味が出てくるのである。
この逆に、
「こんなの意味ない」を放置する感受性だと、
そもそも常識に無自覚に従ってしまい、
本当に意味があるけれど、
大多数が見落としている選択肢を、
自分でひねり出すことができなくなってしまう。
唯一の頭脳を持つ生き物である人間が、
自分で吟味しないということは、
一番の武器を使っていないということだ。
狩りの下手くそなライオンやトラは、
どう考えても個体としては、
生き残ることができない。
これが人間であれば、
「こんなの意味ない」から、
知恵を狩りに行くくらいで、
人間の一番の武器を、
ようやく使ったことになる。
ありとあらゆる物事に、
プラスであれマイナスであれ、
多数と異なる意味を見いだせたなら、
そこに才能が眠っている。
もし「こんなの意味ない」という嫌な思いが先行したら、
そのように捉え直すだけで、
日常に成長を埋め込むことができる。
「こんなの意味ない」という感覚と、
とことん素直に向き合って、
愚直なまでに知識を吸収して感覚を照らすと、
才能が形になるんだよね。
boxcox.net、遠藤武。