「年収が下がった」
「コロナで大変だ」
「景気が悪くなった」
このような言葉が聞こえてくるが、
実のところ、経済は10年単位の話であって、
100年単位で見れば、確実に歴史は良さを運んできている。
ここ100年で見れば、
栄養状態が良くなり、
医療やインフラが整備されて、
義務教育や選挙制度が当たり前になった。
紛争・戦争は尽きず、飢餓や貧困も残るものの、
経済成長している国からの支援の手が広がっている。
これに反している国や地域や団体は、
世界中から集中砲火で非難される監視の目もある。
ここ5年くらいで言っても、
コンプライアンスや人道に反しようものなら、
ウェブ上で情報を暴露され、
まともに取引すらしてもらえなくなるのである。
これは100〜300年前ではそもそも考えられなかったことだ。
10年単位で見れば、
特定の分野がオワコン化したり、
紛争や環境変動が起こったり、経済的に淘汰されたりと、
あちこちで問題は起こっている。
100年単位で眺めれば、
教育もインフラも整っておらず、
医療は現代目線で見れば未発達だったのであり
現代の人間社会は底上げする形で成長しているのだ。
1000年単位で展望していけば、
フィクションや伝説に思えるほど、
差がついてしまうとわかる。
「景気が悪くなった」と言い出したり、
目先で自分の仕事がオワコン化していることを、
辛くなるのはわかるが、それで止まるのはちょっともったいない。
多かれ少なかれ浮き沈みはあるのだから、
浮き沈みがあっても結果的に勝っている状況を定義して、
そのために解くべき問題は何で、今変えるべき物事は何かを、
100年単位で見たときと、10年単位で見たときで見定めればいい。
時流を大局的に判断し、次のToDoを決断していくだけの話だ。
「人間は考える葦である」と言ったフランスの哲学者のパスカルは、
400年くらい前に生まれ、39歳で亡くなった。
「人間は自然の中で最も弱いものであるが、考えることで宇宙より優勢となる」
と、人間の尊厳を、パスカルは「考えること」に見出した。
10年単位の物事で、現代人の思考がついつい閉じてしまっている傾向と、
100年単位での成長を見比べると、
インフラもテクノロジーも、
実は自由すぎるくらい自由に成長している。
変に自由ばかり強調する必要もないし、
強引に成長する必要もないのだが、
成長するということについて、
人間が100年単位でやってきたことの可能性を、
10年単位や1年単位に切り分けて、
自分が1日や1分単位で出来るところまで、
やること・やらないことを、
見通してはどうだろうか。
歴史に学ぶとはこういうことであり、
近視眼的になる人が多い今だからこそ、
勝ちやすい自分の土俵を創るチャンスが眠っているんだよね。
boxcox.net、遠藤武。