多数派が馴れ合っており、
その馴れ合いの輪に入っていない人が、
少数派ということになる。
ただし、これだけだと少し足りないので補足しよう。
理由や背景はさておき、
孤独でありつづけることは、
継続的に成長するために必須だ。
孤独であり続けるには、
そもそも孤独を楽しんで、
孤独を愛する必要があるのだが、
馴れ合いがなく孤独が寂しいというのは、
多数派の発想のまま孤立しているだけだ。
寂しさは、経験値や読書など、
チカラ不足の自分に対する不安が根本にある。
額面通りのチカラ不足だと、
「人とつながっていれば不安が解消できる!」
という多数派の群れる理屈で人生を終えてしまうからこそ、
多数派は多数派なのだ。
もし、
「目の前の人のレベルが低くて嫌だ」
「今いる場所が村社会丸出しで嫌だ」
と感じるのであれば、
その人は孤独を楽しんで成長できる才能がある。
異次元の成長を続ける人は、
常識だけに従う村社会にどうしても馴染めないからこそ、
居場所の空間も時間も根本から過ごし方を変えたからこそ、
文字通り異次元の成長を果たせているのである。
孤独を感じたら「これは運がいい」と受け取り、
孤独を映画や小説のように楽しんで、
成長の材料にしてしまうくらいしか、
先に進めないということだ。
孤独にビビって群れることも個人の選択のひとつだが、
これは単に自分のチカラ不足にビビった故の現状維持だ。
現状維持している以上は、何も変わらない。
これを素直に認めることでしか人は変われないからこそ、
「誰もほかにこんな選択肢を取っていない。じゃあ自分がやろう」
という変わり者が、そのまま素直に変わっていくのだ。
「こうしたい!」という方向に向け、
チカラをつけていくという事実があると知っておくだけで、
ビビりを「孤独を楽しむシグナルだ!」と有効活用できるが、いかがだろうか。
boxcox.net、遠藤武。