多数派は、他人と比べるのが好きである。
他人と比べるクセがついてしまうとどうなるか。
上には上がいると知ったとき、絶望感に打ちひしがれる。
例えば、意気揚々と田舎から出て来てトップレベルの大学に入ったはいいが、
「そもそも故郷が地方ひとつしかない(最強は首都圏や国外+地方にそれぞれ拠点や思い出がある人)」
と比較してしまう。
また、
「中学受験していない(最強は中学受験で都市圏・都内御三家や都内国立、あるいは中学受験の有無以前に周りにいた大人のレベルが極めて高い状態)」
「バイリンガルやトリリンガルや多言語話者になれない(最強は多言語話者かつ数学にもテクノロジーにも強い)」
などなど、いやらしい話をすればキリがないが、話しがいくらでも広がってしまう。
現実解。
上記は実体験を束ねたものであり、えられない壁を痛感して絶望し、身動きが全く取れなくなってしまう人を多々見かけた。
何も「上には上がいるのだから、他人と比較して絶望に打ちひしがれよう」と言いたいのではない。
事実を知って打ちひしがれる素直さが、20歳を超えてもあるのならば、
きっと自分にしかない風景を見出せるはずだと言いたいのだ。
その風景は例えば、10歳くらいまで大好きだったゲームや電子工作や街並みの話題かもしれないし、
中学生や高校生までハマっていた音楽や美術やマンガの話題かもしれない。
あるいは親子関係や友達関係の良い思い出・嫌な記憶かもしれない。
ふと現在の目線で過去を復習すると、思いのほか何が出来ていて何が出来ないのかが明確にわかる。
平たく言えば「強くてニューゲーム」とでも言える二周目の視点を得られるのである。
他人と比べるだけでは、ただの回顧や僻みになってしまうが、
「自分にしかない自分の経験から言える本音はどこにあるのだろう?」
と問うて、他人と比較しようがない絶対評価で過去と戯れればいい。
それだけで過去も現在も未来も救われると思うのだが、いかがだろうか。
boxcox.net、遠藤武。