教育関係者はあまり語りたがらないが、
偏差値が高いほど校則が自由だ。
いわゆるブラック校則とは完全に無縁である。
中学受験だとかなり数は絞られ、
高校受験でも少数派ではあるが、
いずれにせよ例外はない。
自分の通った高校は、
髪を茶色にしようが金髪にしようが、
赤や青やドレッドにしようが何も言われなかった。
(茶髪で吹奏楽コンクールの全国大会に出てしまったくらいだ。)
制服も特になく、何を着てきても問題ない。
衛生面から上履きと体育館用シューズは義務付けられていたが、
これは屋内でスリッパを用いることや、
ジム内でトレーニング用のシューズを履くように、
合理的なルールでしかない。
受験勉強についても放任主義だ。
一定レベルを超えているから、
目標が明確な人で下に逃げない人はタフだ。
反面、中途半端な人は100%落ちこぼれる。
それでも、落ちこぼれた中から面白い人が出てくるのもまた事実なのだが。
自分の場合、親がそのような私服校に通っていたことも影響を受けているが、
出身者はそうとうバラエティに富んでいることが多い。
いろいろな人を眺めていると、
「ああ、あの人は私服校/自由な校風の経験者だったのか」
と納得してしまうことが多々ある。
何が言いたいのかと言うと、
自由を享受するためにしっかり学ぶことが、
そもそもの大前提に必要ということだ。
ブラック企業のようなマネジメントが起こるのは、
そもそもその組織が勉強不足だからだ。
経営者が目の前の物事を他人のせいにしていると、
部下である従業員も悪習を真似してしまう。
田舎のヤンキー中学生の群れのような、
「どーせ俺たちなんか…けっ!」
のようなただれた状態が、組織に蔓延してしまう。
本音ストレートな視点で見てみると、
ブラック校則はそのようなただれた状態を、
無理やり治めるためのチカラ技と言える。
「これが守れないなら出て行け」
とでも言わんばかりの状態にしないと、
校内の秩序が保てないためだ。
その状態が万人にとって良いとは思わないし、
善良な普通の生徒にとっては理不尽だ。
理不尽が嫌なら、
何が何でも確実に勝てる形で上を目指せ。
頭を使って行動して学んで、
自分だけのポジションをこじ開けるしかない。
これが社会の事実なんだよ。
後々どこかで気づくかもしれない。
嫌な思いをしたことそのものを肯定する必要はないが、
年齢を重ねたあとに嫌な思いをして、
取り返しのつかないふてくされ方をするより、
先に事実を知っておいたほうが、
軌道修正が確実に効く分有利だよ。
現実解。
嫌な思いをしたなら、
二度と同じことが起きないよう抜け出せ。
ふてくされなければ、
そのエネルギーだけで頭が突然良くなるから。
boxcox.net、遠藤武。