教養は、実用性を含んでいる。

三行世界。

ときおり「教養は役に立たない」という発言が独り歩きケースがあるが、

まともに頭を使い知的生産する立場なら「教養は基礎や実用性を含んでいる」と気づけるはずである。

例えば、論文の執筆方法(アカデミックな英語やそれ以外の外国語を含む)は、知的生産という実用性に溢れているし、ビジネス分野での議論もプレゼンも可能にしてしまう。

 

現実解。

これに気付けないというのは、単に情報不足か、単に知的生産のための教養が一切不要な立場にいるだけであり、立場がそう言わしめているのだ。

 

追記。

ときたま見かける数学不要論や古典不要論も、同じ理屈。

人間は機械ではないため、知性で遊び、そこから成長するという本質をちゃんと腹落ちしておこう。

ボックスコックスネット、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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