ときおり「教養は役に立たない」という発言が独り歩きケースがあるが、
まともに頭を使い知的生産する立場なら「教養は基礎や実用性を含んでいる」と気づけるはずである。
例えば、論文の執筆方法(アカデミックな英語やそれ以外の外国語を含む)は、知的生産という実用性に溢れているし、ビジネス分野での議論もプレゼンも可能にしてしまう。
現実解。
これに気付けないというのは、単に情報不足か、単に知的生産のための教養が一切不要な立場にいるだけであり、立場がそう言わしめているのだ。
追記。
ときたま見かける数学不要論や古典不要論も、同じ理屈。
人間は機械ではないため、知性で遊び、そこから成長するという本質をちゃんと腹落ちしておこう。
ボックスコックスネット、遠藤武。