教養の本質は、粗々でも全体像を立てつけるチカラのことである。
仮説検証も、解像度の上げ下げも、疑うことや知的好奇心も、実は全て教養に行き着く全体像の立てつけだ。
実務や専門の深掘りや、水平思考をする基礎になる。
現実解。
教養とは、全体像を求め、根本を疑うことへの好奇心という、基礎力とタブーのせめぎ合いだ。
追記。
ときおり「教養=雑学」とか「教養=基礎未満の知識」のようについうっかり誤解してしまう人がいるが、
それは教養から全体像という枠組みが消えてしまい、何も疑わない個別的な話に終始しているだけの話である。
追記の追記。
個別的な雑学煽りだけなら、広報やプロパガンダでも出来てしまうものね。
ボックスコックスネット、遠藤武。