物事を「淡々とやる」ことが大事だとしても、これを誤魔化しに使っては、どうにもならない。
目の覚めるようなインテリジェンスや、圧倒的なエネルギーが、立ち居振る舞いの端々からはみ出して来ないのなら、いくら淡々とやっても、おためごかしに過ぎないということだ。
いかほど知性ある切れ者だとしても、虚勢を張らず、堂々と間違えて、そこから立て直すくらいでちょうどいい。
一瞬のうちに、ぱあっと梟盧放擲できる自由があることこそ、尊い。普段と真逆の状況を選べる自由は、実りのある「逃げない逃げ道」になるからだ。
瞬間的な熱狂に繰り返し身を投じたくなるからこそ、結果としてそれを狙って淡々と動けるんだよね。