自然科学を扱う人が、「倫理や環境や社会や人間にフィットしない!」という指摘を受けることが多々ある。
この指摘は「非科学的」と断じられて、話題にすらされない。
これは「自然科学の議論のみで整合性が取れているため、それ以外の都合は含む必要がない」という閉じたロジックだ。ここに疑問を抱くならば、この自然科学の議論に関わるヒトやモノやカネの思惑が、どこを向いているかを見てみるといい。
誰がどこに向けて何にいくら投資しているか、という事実は、社会科学の話題だ。
倫理的か否か、公正か否か、問い尽くしたか、という問いが生じるなら、人文(科)学の話題だ。
自然科学の成果を具体的な仕組みとして世に出すには、人文科学と社会科学も含めた「懐疑心と知的好奇心によるジャッジ」が不可欠である。これが欠けた自然科学とは、ただの強引な営業活動でしかなく、「科学を非科学的に押し付ける」ということになる。
そもそも、人間と社会の下支えなしには、科学は発達しようがない。知識に則って断じるだけの暗記は、科学ではない。
知識を総動員したにも関わらず、「非科学的」と断じた先の行動が、ただの営業活動というのは、笑えない冗談だ。
とある科学者の冗談好きのエピソードや発言くらい、科学に関わるなら当然知っているはずなんだけどね。