大人であることとは、大人げない発想や感覚から、価値や面白さを作り続けていくことだ。
成人として行使が可能な権利と知性と行動力をフル活用し、自由に過ごすことで、やっと大人としての義務を果たしていると言える。
これと逆に、以下は「残念で不自由な大人がすなる大人げなさ」である。
・冷笑的な皮肉屋でいること
・知性いらずの炎上芸に走ること
・汚い言葉を垂れ流し続けること
これを避けた「価値や面白さを作る大人げなさ」は「器が大きくなること」だと言える。
「器が大きくなる」などと、大人ぶった偉そうな言い方を避けるなら、岡本太郎が言った「積み減らす」ことと言い換えていい。
どちらも、自分の狭さを知り、自分の外の広さを知ることに他ならない。
大人げ無い発想や感覚が、ザラついた素行不良として出てしまうのであれば、まだまだ知性も行動力も自由も足りていない証拠だ。
その人が抱える知性や行動力や自由が、自身の言葉や立ち居振る舞いの端々から滲み出てくることで、ようやく大人げない知性を目の前の人に送り届けられる。
この有無は、有名無名だとか、学歴があるかないかは、一切問わない。無差別級の世界だ。
子供の視点で「王様は裸だ!」と言葉にできながら、自分の周囲も把握できていない残念な大人にならないこと。
これは自由への第一歩なんだよね。