「大人げない」への本音

daily0 本音たち。

大人であることとは、大人げない発想や感覚から、価値や面白さを作り続けていくことだ。

成人として行使が可能な権利と知性と行動力をフル活用し、自由に過ごすことで、やっと大人としての義務を果たしていると言える。

これと逆に、以下は「残念で不自由な大人がすなる大人げなさ」である。
・冷笑的な皮肉屋でいること
・知性いらずの炎上芸に走ること
・汚い言葉を垂れ流し続けること

これを避けた「価値や面白さを作る大人げなさ」は「器が大きくなること」だと言える。

「器が大きくなる」などと、大人ぶった偉そうな言い方を避けるなら、岡本太郎が言った「積み減らす」ことと言い換えていい。

どちらも、自分の狭さを知り、自分の外の広さを知ることに他ならない。

大人げ無い発想や感覚が、ザラついた素行不良として出てしまうのであれば、まだまだ知性も行動力も自由も足りていない証拠だ。

その人が抱える知性や行動力や自由が、自身の言葉や立ち居振る舞いの端々から滲み出てくることで、ようやく大人げない知性を目の前の人に送り届けられる。

この有無は、有名無名だとか、学歴があるかないかは、一切問わない。無差別級の世界だ。

子供の視点で「王様は裸だ!」と言葉にできながら、自分の周囲も把握できていない残念な大人にならないこと。
これは自由への第一歩なんだよね。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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