「アンチテーゼ」という言葉の通り、対立する概念があるからアンチが成り立つ。
適切に知識と行動を仕入れた上で自画自賛し、さらに他者をも肯定してあげることが、より良い環境を得ることにつながる。
それでも気に入らないところがあれば、肯定できる箇所を徹底的に認めた上で、堂々とアンチになってしまえば良い。
アンチとして嫌いな対象を追っかけ回すのって、どこかで明確に価値を認めているからであって、興味がないどころか「興味津々」なんだよね。
まずは徹底的に価値を認めたことを自認してから、岡本太郎が言ったように「自分アンチ」になっても良いし、苦言を呈しても良い。嫌味ったらしさがない世界に足を踏み入れる。その第一歩と思えれば十分お釣りが来る。
「どうしても許せないモヤモヤした感覚」については、それを引き起こす対象から徹底的に離れておくといい。
もしモヤモヤを超えられたなら、
「素直に価値を認めたアンチ」
「価値を新たに作るアンチ」
「応援できるアンチ」
であるくらい堂々とできるほうが、かっこよくて有益なんだよね。