演技のない演技指導は、舞台や劇場の外で頻繁に見かける。
そもそも指導をしないのに監督や演出家がいると思い込んでいるので、まず課題設定ができない。
それどころか台本がどこにも具体的に存在しない。
毎日、産業廃棄物のデータマイニングで生まれた紙切れとテキストの台本を目の前にして、
同じ演出でルーチン化したセリフばかりを、練習でもないのに繰り返す。
指導のない群集心理の演技指導に従っても、そこに表現はない。
演技と指導が個我を支えるのであれば、表現なき表現を得られる。
個我で真に迫る演技は、生きながら死を表現できるほど、
恐怖を能面でフタをしながら冷静でいられるほど、
矛盾を支配してしまう凄みがあるんだよね。
恐怖を能面でフタをしながら冷静でいられるほど、
矛盾を支配してしまう凄みがあるんだよね。